(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年05月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市淀川区加島 香具波志神社


大阪市淀川区加島に鎮座する香具波志神社(かぐはしじんじゃ)です。

加島西公園に隣接して鎮座しているはずの「薫的神社(くんてきじんじゃ)」が発見できずになぜか香具波志神社(かぐはしじんじゃ)に到着してしまいました。

近所の方の話では、「薫的神社(くんてきじんじゃ)」は少し前に空き地になってしまったということです。

『御由緒

当社は今を去る1千年前の天徳三年秋に食稲魂神、保食神を鎮祀し、以来稲荷大明神・加島神社、●の神などと称され、五穀豊穣・福徳円満・無病息災などの御神徳を以て、広く氏子崇敬者の尊崇を集めて来たのであった。

平安時代より鎌倉時代には、当社境内に連歌殿があり、盛大に連歌会が催され、最明寺入道時頼も連歌田一町を寄進したほどであった。

その後の乱世にあっては、正平年間に楠木正義が当社へ戦勝を祈願し、また戦国の雄、三好長慶は戦勝祈願の崇贄として朱木大鳥居壱基を奉納している。

また当社が稲荷社としての信仰が篤かったことは織田信長の兵火を免かれ、豊臣秀吉の検地に際しては、当社境内地は除地とされたほどであった。

江戸時代には、当社は神●管領吉田家に帰属するところとなり、社殿、その他建造物もしばしば増改築が加えられた中でも表門の如き大きな門を許されたのであった。

しかし、万延元年に社殿は灰塵に帰し、現在の社殿は文久三年に復興されたものである。

紀元三千六百年記念に境内を整備の上、昭和十九年に郷社に列せられた。

幸い当社は第●●大戦の戦火も免れ、昭和三十四年秋には●鎮座一千年祭が盛大に挙行され幾多の記念事業●●したのである。

昭和四十二年、三年に亘り本社以下の収蔵庫新築工事を成し●●百年記念としたのである。』

(ところどころ掲示物から文字が消えたり判別できなくなっています。)

インターネット上に切り株だけになってしまっている神木の大楠の壮麗な写真が載っていました。

素晴らしかったようです。

そういえば東淀川区、西淀川区、淀川区の神社にはかなりの太さの神木の切り株が祭られていました。

土地が肥沃であったという証拠なのでしょうか。

なんとも立派な神社です。


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