(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年05月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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枚方市中宮西之町 百濟王神社


枚方市中宮西之町に鎮座する百濟王神社(くだらおうじんじゃ)です。

私が気になったのは、京阪の枚方市駅東南部で散々探し回って発見した枚方市大垣内町の丘の上の鎮座する神社も「百済王神社(くだらおうじんじゃ)」という名称がついていたのですが、そもそも百済王氏(くだらのおううじ)が摂津国百済郡から河内国交野郡に移転した際に神護寺とこの神社を祀ったように書かれています。

百済王神社(くだらおうじんじゃ)

祭神は、百済王・須佐之男命〔牛頭天王(ごずてんのう)〕)。

百済国王の禅広は、新羅・唐連合軍によって祖国が滅亡した際、日本に亡命してきた。

たがて朝廷に仕えることとなり、百済王(くだらのこにきし)氏という姓を賜り難波の地に居住した。

陸奥守百済王敬福(きょうふく)は聖武天皇の東大寺(とうだいじ)大仏鋳造に際し、陸奥国で産出した金を献上し、その功により河内守に任ぜられた。

敬福(きょうふく)は中宮の地を賜り、氏寺として百済寺、氏神として百済王神社を造営し、一族ともどもこの地に住みついたと考えられている。

やがて百済王氏一族は、皇室や高級貴族と姻戚関係を持ち、朝廷内での地位を高めていった。

特に桓武天皇は交野ケ原の地をしばしば訪れ、百済王氏と親交を深めた。

その後、度重なる火災により壮大な伽藍は灰墟に帰し衰退した。

やがて奈良興福寺(こうふくじ)の支配を受け、再興が図られた。

今ある本殿は、奈良春日大社(かすがたいしゃ)>の本社本殿を移築した「春日移し」である。

なお、拝殿にかかる「百済国王 牛頭天王(ごずてんのう)」の本版額は、当社が百済王氏の祖霊を祀る神社であることを明かにする。

二千年三月 枚方市教育委員会』

ここの由緒書きを読んでいるとなかなか詳細に書かれていて良いと思うのですが、いろいろと考えさせられることが含まれています。

山車(だんじり)」の由緒も説明されています。

『御祭神 高オ神(たかおかみ:オはりゅうにあめかんむり)

旧中宮村出郷池之宮字浮島に在り、明治五年百済王神社境内に移されましたが、明治十三年再び池之宮に移され「ジョウサン(龍王のこと)」「雨乞の神様」として崇敬を集めていました。

昭和四十四年不審火により消失したのを機にこの場所にお祀りされるようになりました。

祭日 七月十八日』

と写真の祠を説明しています。

隣接する「特別史跡 百済寺跡史跡公園」と共に興味深い場所です。


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