(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年05月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市西淀川区野里 住吉神社〔野里住吉さん〕


大阪市西淀川区野里に鎮座する住吉神社(すみよしじんじゃ)です。別称は、「野里住吉(のざとすみよし)さん」と呼ばれています。

先に立ち寄った大阪市西淀川区柏里に鎮座する「鼻川神社(はなかわじんじゃ)御旅所(おたびしょ)」は、本社である西淀川区花川に鎮座する「鼻川神社(はなかわじんじゃ)」よりも近いと思うのですがなかなか氏地というのは入り組んでいることが多いので難しいものです。


野里住吉神社(のざとすみよしじんじゃ) 「一夜官女の祭(乙女塚)の由来」

永徳二年(1382)足利三代将軍義満の創建と伝えられている野里住吉神社(のざとすみよしじんじゃ)の境内の片隅にある「瀧の池」の跡地に乙女塚が建てられている。

それには悲しい物語りが伝えられている。

中津川に面した昔の野里は、打ち続く風水害と悪疫の流行によって悲惨な明け暮れで近隣の村人たちは野里のことを「泣き村」とも呼んでいた。

この村を救う為には、毎年定まった日に一人の子女を神に捧げよとの託宣があり、村を救う一念から村人の総意でこれを實行していた。

人身御供の子女は毎年一月二十日丑三ツ時に唐●に入れられて神社に運ばれ放置された。

丁度七年目の行事を準備している時、一人の武士が立寄り、村人からことの詳細を聞き「神は人を救うもので人間を犠牲にすることは神の思召しではない」と乙女の身がわりに唐●に自ら入って神社に運ばれた。

翌朝、そこには武士の姿はなく、大きな「狒々(ひひ)」が深手を負い絶命していた。

この武士こそ当時、武者修行中の岩見重太郎であると伝えられている。

村ではこの後安泰の日々を送るようになった。

これを後世に永く伝へるため、同じ形式で同じ一月二十日に村の災厄除けの祭をして他に例を見ない奇祭が行われ今日に至ったものである。

明治四十年より二月二十日に改められた。

この一夜官女の祭は昭和四十七年三月三十一日付けで大阪府文化財保護委員会より重要民族資料として指定されている。

この池は古戦場としても有名であり、享録四年六月四日、細川常植と細川晴元が中津川で戦った時、常植方の本陣が当社であったという。

現在の野里本通りが旧中津川の右岸に当り摂津の大物崩(だいもつくず)れという戦いがこれである。』


興味深い歴史が紹介されています。

機会があれば訪れたいと思います。


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