(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年05月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市東淀川区東中島 中島惣社の鳥居


大阪市東淀川区東中島に鎮座する中島惣社(なかじまそうしゃ)の鳥居を見てみます。

神社から見てまっすぐに南から参道があるようです。

かなりの距離がありますが見に行くことにしました。

結構立派な鳥居が立っていますが「一の鳥居」ということでしょうか。

鳥居をレポートした理由はこの鳥居にあります。

この鳥居は柵に密着していて、写真が内側になります。

外へ行こうとすると柵になっていて向こうは駐車場です。

鳥居の位置もおかしいのですが、その向こうが延々と駐車場になっているのですが、中島惣社(なかじまそうしゃ)の駐車場とも思えないのです。

どうなっているのでしょうか。

一の鳥居から神社までは200m以上あります。

その中間付近に真っ赤な大きな鳥居と一対の灯籠が家の隙間に存在しているようになっています。

不可解な鳥居はあちらこちらにあるのですが、由緒書きを見て『摂津(せっつ)名所絵図に稲荷社「中島惣社(なかじまそうしゃ)」と記されている。』から赤い鳥居は納得です。

このような長い直線を持っていると「馬場」であったというような説明がある場合が多いのですがここには見ることができません。

私が発見した攝津(せっつ)名所絵図は、鮮明ではなく確認できませんでした。

なんとも歯がゆいことです。


『老松がうっそうと繁茂し、明治初年まで東西八十間南北二百四十間坪数一万九千二百坪の除地であったが、明治二年(1869)三月この地に攝津(せっつ)県(のち豊崎県)がおかれるに当たり、松樹を伐採して大いに風致を損し、一面当時の氏子は土地税法の改正を誤り一万五千百三十坪を上地したために、明治三十三年(1900)八月以来再三出願し、ようやく明治三十六年(1903)一部の払い下げを得て今日の現状に復したものである。(http://www3.ocn.ne.jp/~asuka123/sosya.htm)』


そういえば、正覚寺の門前に「攝津(せっつ)県の跡」の石標が立っていました。