(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年04月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

枚方市渚元町 史跡 渚の院跡


枚方市渚本町に鎮座する「御殿山神社(ごてんやまじんじゃ)」から小倉町に鎮座する「粟倉神社(あわくらじんじゃ)」に向かっていたのですが崖下の谷間に降りたようなので登るが嫌で最初に出会った奥さんに場所を確認したら丁寧に登らなくてもいけそうな道を教えていただきました。

教えられたとおりに進むとお母さたちが井戸端会議をしていてそれを避けたときに「渚の院跡」という看板が目に入りました。

一旦通り過ぎたのですが、再訪することもないかもと思い戻ってきました。

日本の学校は何を教えているのだろうかと考えこんでしまいました。


『渚の院跡

渚の院は惟喬(これたか)親王(しんのう)が(844-897)の別荘であったとされています。文徳(もんとく)天皇(850-858在位)の第1皇子でしたが、立太子争いにやぶれ憂さをはらすためしばしば渚の院にきたようです。

「伊勢物語」には親王一行が交野ヶ原に遊猟にきたものの、渚の院で観桜や酒宴に興じ歌を詠むばかりであったと記しています。

世の中にたえて桜のなかりせば

 春の心はのどけからまし業 平

この歌は、この時同行した在原業平が「院の桜ことにおもしろし」として詠んだものですが、失意のうちにあって「のどか」でない惟喬(これたか)親王(しんのう)の心境が詠み込まれていると解釈されます。

渚の院跡には観音寺が建立され十一面観音を本尊としていましたが、明治初年の神仏分離により廃寺となり、本尊は渚の星雲寺に移されました。

今に残る梵鐘は寛政八年(1796)の鋳造で河内鋳物師として著名であった枚方村金屋田中屋信の作です。

一九九三年 枚方市教育委員会』


「史跡 渚の院跡」は「渚之院会館」の建物の背面部にあり、通常は鍵がかかっていて「市立渚保育所」にお願いすれば鍵を開けていただけるということです。

この日はたまたま鍵がかかっていませんでしたので中に入ることができました。

戻ってきて納得なのですが、歴史の年号よりもこのような物事の関係の歴史の方が重要であると思います。

教え方を誤っているというか、教師自体が理解しているか心配になってしまいます。