(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年03月24日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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枚方市枚方上之町 史跡 御茶屋御殿跡


大阪府枚方市枚方上之町の「史跡 御茶屋御殿跡(おちゃやごてんあと)」です。

隣接して「意賀美梅林(おかみばいりん)」と鎮座する「意賀美神社(おかみじんじゃ)」があるのですが、淀川を見下ろすかなりの標高があります。

淀川の往来を見張るには最適の場所であるかもしれません。

『史跡 御茶屋御殿跡(おちゃやごてんあと)

京・大坂間を結ぶ交通の大動脈、淀川と京街道を見下ろすこの地に豊臣秀吉が御茶屋御殿(おちゃやごてん)を建てたのは文禄四年(1595)のことです。

三矢村に残る記録から秀吉が「御茶殿」を当地に建てたことが確認できます。

伝承では、秀吉の家臣である枚方城主本多内膳正政康の娘「乙御前」をここに住まわせたとも言われています。

京都伏見と大坂に拠点を置いた秀吉は、この間をしばしば行き来していました。

中間にあたる、ここ枚方の地にも立ち寄ったことでしょう。

文禄五年(1596)の淀川堤防修築に際しては、対岸の大塚から枚方の工事の様子を上機嫌で眺めたとの話も残っています。

江戸時代に入ると、御茶屋御殿(おちゃやごてん)は幕府公用の施設となりました。

元和九年(1623)には2代将軍徳川秀忠が、寛永三年(1626)には三台将軍家光が逗留したと記録に残されています。

家光来訪の際には、秀吉が建てた「大茶殿」の脇に桁行5間、梁行3間の御殿が新築されました。

その後は利用されることもなく、「大茶殿」は承応三年(1654)老朽化により解体され、新築御殿がその用材の収納庫にあてられてました。

しかし、延宝七年(1679)七月一日に起こった枚方宿の火事によって新築御殿もろとも全勝し、以後再建されることはありませんでした。』

なんとも数奇な運命を辿ったと思いますが、大平の世には淀川からの急坂を登るのか嫌になったのでしょうか。