(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年03月27日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大東市灰塚 灰塚・おかげ燈籠


大阪府大東市灰塚の「灰塚・おかげ燈籠」です。

結構立派な大きさがあります。

大阪市内には鶴見区放出東に鎮座する「婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)」にしか残っていないとされています。

そういえば東大阪市内には結構な数があるのですが、南へ行くとなくなって行きます。

『灰塚・おかげ燈籠

大東市のおかげ燈籠は八基あり、中でも壮大美麗なのが当地の石燈籠である。

「基壇」は三層よりなっており、1メートルある。

この上に太神宮と記す「竿」が立つ、次いでおかげの文字を刻する「中台」、その上の「火袋」は四角燈籠、この上の「笠」の軒は、中央部より反り始めて華麗、笠の上にのる「宝珠」。

基壇よりの高さは3メートル30、堂々たる石燈籠である。

お蔭燈籠とは伊勢皇太神宮への献燈を意味する。

江戸期には神仏詣りが民衆の間に浸透し中でも盛大を極めたものに御伊勢詣りがあり沿道の人々の喜捨庇護(きしゃひご)をうけて参拝したのでおかげ詣りと呼ばれる

伊勢詣りの爆発的流行は六十年周期に起こったとされるが、文政十三年(1830)の場合は御蔭詣りと共に河内大和一帯では御蔭踊りと呼ばれる阿波踊りに似た民衆の乱舞があった。

枚方に始まり当地に及び大和に波及し北河内に還流する。

この乱舞流行の鎮まりを見た天保二年(1831)、当村の指導者たちは安堵し、村中安全を祈念して建立した。

尚、当市のおかげ燈籠五基までは文政十二年(1929)のおかげ踊りを契機に作られたものである。

大東市教育委員会』

大変立派な「おかげ燈籠」なのですが、私の第一印象は「綺麗」というものでした。

不思議に汚れていないのです。

素晴らしいと思います。