(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年03月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市淀川区十三東 神津神社


大阪市淀川区十三東に鎮座する「神津神社(かみつじんじゃ)」です。

公式ホームページが開設されています。

十三の周辺については訪問したことが少ないのであまり知りませんが、この神社の説明などをみていると結構な歴史も有していることが解ります。

神津神社(かみつじんじゃ)の歴史

神津神社(かみつじんじゃ)は明治42年(1909年)に、旧神津村の(こしま))、木川、野中、新在家(しんざいけ)堀上(ほりがみ)、今里、堀の七ヶ村の氏神を小島村(現在の十三東)の村社八幡神社(はちまんじんじゃ)を中央適当地として合わせてお祭りしたものです。

小島村の八幡神社(はちまんじんじゃ)は、今より四百数十年前の天正年間(1573 - 1592年)に(まつ)られていたことや、江戸時代に四度の再建がなされたことが、昭和4年の改築に際して現れた棟札(むなふだ)(木の札に神名などを記し、建物の安全を願い屋根裏などにお祀りしたもの)より分かっています。

しかし、詳しいことは不明で、恐らく水害や戦災(昭和20年3月の空襲により境内建物のほとんどは消失)などにより古い記録等が失われたものと思われます。

神津(かみつ)の名称の由来

神津の名称は、神崎川の「神」と中津川(現在の新淀川)の「津」よりとったもので、北に神崎川、南に中津川の両河川に挟まれた地域に、明治の中頃に神津村(現在の大阪市淀川区にあたる)ができました。』

十三戎(とみえびす)とは

十三戎(とみえびす)祭は、昭和31年に始まりました。当氏子区域内の商工業が益々発展するように今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)の御分霊をいただいて奉斎しております。

十三戎(とみえびす)祭は七福神の氏地内巡行をスタートとして、1月9・10・11日の3日間行われます。

境内には露店が多く出て、福を求める参拝者が所狭しとおしかけ、阪急沿線の戎さんとして年々盛んとなってきています。』

吉向(きっこう)窯の由来

伊豫(現在の愛媛県)大洲藩出身の戸田治兵衛が京に出て陶作りを学び、文化の初め(1801年頃)大阪十三村に窯を築きました。

庭前の老松と生駒山に出る月をめで「十三軒松月」と号し作陶に専念しました。

時の将軍家の慶事に際し、鶴と亀の食籠(じきろう)(食べ物を盛る器)を献上しました。

その折、海亀の食籠が非常に気に入られ、亀甲即ち、吉に向かうに因み「吉向(きっこう)」の窯号を賜りました。

当時の作品は、諸大名にもてはやされ藩のお庭焼に貢献しました。

大阪唯一の窯であった十三の吉向(きっこう)窯は、明治18年(1885年)の淀川大洪水後、中津川改修のため移転しました。

その後、高津を経て現在交野市私市と東大阪市布市とに二家があります。

東京国立博物館や大阪市立美術館に初代などの作品が大切に収蔵されています。

神津神社(かみつじんじゃ)境内の吉向(きっこう)窯は、昭和五十九年の第三回十三文化祭で十三小学校校庭に再現したものを、神津神社(かみつじんじゃ)に移築したものです。』


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