(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年03月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市都島区片町 史跡 京橋川魚市場跡


寝屋川と大川が合流する寝屋川橋東詰交差点の脇にひっそりと設置されています。

住所を調べてみると、大阪市都島区片町の「史跡 京橋川魚市場(きょうばしかわうおいちば)跡」です。

上にかかっているのは大阪城と「毛馬・桜ノ宮公園」と「大阪城公園」との間の人専用の橋で写真左の下にあります。


京橋川魚市場(きょうばしかわうおいちば)

大阪の魚市場といえば雑魚場市場が著名である。

しかし近世の魚市場は雑魚場ひとつではなく、木津や天満にも海魚を扱う市場が営まれていた。

また海魚とは別に川魚を扱う市場が京橋にもあった。

京橋川魚市場(きょうばしかわうおいちば)の起源は、石山本願寺の時期に儲けられた鮒市場とされる。

もともとは漁民が、京橋の北詰に川魚を持ち寄って販売する市のようなものであったと考えられる。

寛保元年(1741)の「京橋川魚独占販売由来記」によれば、慶長年間(1596-1615)のはじめごろに、小出播磨守秀政の指示を受けて構成員五十五人、うち五人を幹事である年寄とする市場機構のシステムが整えられた。

以降近世を通して、幕府に川魚を独占的に扱うことを公認された市場となった。

近代に入り、市場機構の変革が進む中、京橋川魚市場(きょうばしかわうおいちば)は明治末期には中之島6丁目付近へ移転し、大正四年(1915)年に大阪川魚株式会社が設立された。

大阪市教育委員会』


私にとって意外なのですが、この先には度々訪問しているのに、この場所は通らなかったようです。

モーターボート免許の更新の時にはこの場所へこなかったような記憶があります。

面白い場所があちらこちらにありますが、通常は気がつかないようです。