(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年03月10日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市東淀川区大道南 大宮(大宮神社)


大阪市東淀川区大道南に鎮座する大宮(おおみや)です。通称が「大宮神社(おおみやじんじゃ)」というようです。

近くに用事があったので訪問したのですが、淀川以北の神社は初レポートです。

枚方市と羽曳野市以南と淀川以北をターゲットにしていきたいと思いますが、今までのペースでは難しくなりました。

『淀川区の説明抜粋

大宮は第27代安閑(あんかん)天皇を主祭神として祀られた神社です。安閑天皇はしばしばこの地を訪れ、放牧の適地として奨励されたので、牛を飼い牛乳を固めた()というもの(チーズのようなもの)を献上するなど、この土地の発展に尽くされた徳を慕って祭祀されました。

そのことにちなんで明治の頃まで「乳牛牧(ちちうしまき)(ちちうしまき・ちちゅうしまき)」という地名が残り、今の大隅東・大隅西小学校は大正15年(1926年)に改称するまで「乳牛牧尋常小学校」と称していました。

また、この地は聖徳太子の伝承が多く、主祭神御神体の木像は聖徳太子の直作といわれています。聖徳太子は、この地を四天王寺(してんのうじ)建立の候補地として考えられていましたが、洪水が多かったので結局は今の天王寺に建立されましたが、たびたびこの地を訪れた聖徳太子は42歳のとき、村人達の歓待のお礼にと自画像を描き贈られたことが今に伝えられ奉祀されています。

その旧跡であることから、大阪市へ編入される大正14年(1925年)まで「西成郡天王寺庄」と称していました。また、このとき太子の別称豊聡耳(とよとみみ)皇子から「豊里町」と名づけられたといわれています。

社殿は、改修前の旧淀川北岸の堤に面してあり、樹齢1000年以上という楠や杉、松の大樹が多数あったので「大宮の森」といわれ、淀川を上る船はこの森を目印に舵を北に取り、帆を逆に巻き上げ進行しました(古地図に逆巻の地名が見られます)。

明治33年(1900年)の淀川改修のため明治37年(1904 年)に現在地に移建され、明治43年(1910年)に三番の豊国神社(ほうこくじんじゃ)を、大正8年(1919年)に橋寺の橋多賀神社(はしたがじんじゃ)を合祀しました。

今も境内は数本の楠につつまれて、本殿、日天(にってん)社、八幡(はちまん)社、(くすのき)社、豊光(とよみつ)社などがたたずんでおり、祭事には大勢の人々が訪れます。

桜の巨木が2本道路側にありました。

結構立派な桜の木ですので、満開時には相当綺麗であると思います。

できれば満開の頃に再訪したくなります。

最近は桜の木の寿命が来ているのではないかと騒がれてしますが、この木はしっかりしていました。

手水舎の脇に梅の木が3本花を咲かせていましたが、生憎の雨で花びらを落とし始めています。

非常に残念ですが、ことしは梅の花のシーズンに花を見に行く機会を作ることができませんでした。

来週くらいに、枚岡梅林(ひらおかばいりん)が間に合うかというようなタイミングのようです。

大阪城梅林(おおさかじょうばいりん)は種類が様々なので一斉に満開とはならないのですが、奈良県の追分梅林(おいわけばいりん)(2012年現在閉園中)が盛りのような情報も入っています。

時間とお金が欲しいですね。


関連情報レポートリンク

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