(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年02月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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東大阪市善根寺町 大阪城築城残石


東大阪市善根寺町にある大阪城築城残石(おおさかじょうちくじょうのこりいし)です。

東大阪市善根寺町に鎮座する「春日神社(かすがじんじゃ)」から北へ急坂を登ったところにあり、そのまま登りつめると山腹に鎮座する「水神宮(じんぐう)」にたどり着きます。

大阪市北区長柄中の「史跡 毛馬第一閘門(けまだいいちこうもん)」残念石はどこからか船で運んできたものなのでしょう。

大阪城築城残石(おおさかじょうちくじょうのこりいし)

この地に豪壮な屋敷を構え、豊臣秀吉から石奉行に命じられた足立氏は、善根寺を中心に南は日下・池ノ端、北は龍間・中垣内(大東市)あたりの山々から、大阪城築上のための石材を多量に切り出しました。

これに従事した人々は各地から集まり、周辺の村々に住んで、多い日には二万人にも及んだと云われます。

周辺の山腹には、石を切り出す際のクサビ痕や、「日下」「くさか」などの刻名のある石が点在しています。

「築上史研究会」の調査によれば、ここにある巨石も残り石の一つで、表面には「東足立」「西社地」など土地の境界を示す文字や、家紋らしい符号(ー略ー)の刻印がいくつか見られます。

周辺に散在する切り石の刻印(ー略ー)は、元和六年から寛永六年(1620-29)に行われた、徳川の大阪城修築時の石垣に多く、足立氏が引き続いて石材を切り出していた、と考えられています。

お願い 見学については、無断で隣家の敷地内に立ち入らぬようご協力ください。

平成十年十一月 東大阪市』

両隣というか民家の列に並んであるこの石の見学者の振る舞いが近隣に迷惑となっているようです。気をつけましょう。


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