(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年02月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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藤井寺市道明寺 史跡 三ツ塚古墳


藤井寺市道明寺の「史跡 三ツ塚(みつつか)古墳」です。

但し、この看板は府営住宅の柵の部分にあり見通し範囲に古墳は見えません。

私はこの写真と敷地内の地蔵堂を見て、この地蔵堂が古墳の跡地かなんて思っていました。


『史跡 三ツ塚(みつつか)古墳

国指定史跡 助太山(すけたやま)古墳

三ツ塚(みつつか)古墳は、仲津山(なかつやま)古墳(仲津姫(なかつひめ)陵)の南、段丘崖下に位置している三基の方墳の総称です。

東から「八島塚(やしまづか)」、「中山塚(なかやまづか)」、「助太山(すけたやま)古墳」といい周濠を共有し、南辺をそろえほぼ正方位に築かれているのが特徴です。

八島塚(やしまづか)」、「中山塚(なかやまづか)」は、一辺50mで、「助太山(すけたやま)古墳」はやや小さくて一辺36mを測ります。

築造時期については、「助太山(すけたやま)古墳」の墳丘に露出している巨石が横口式石榔の可能性があること、墳丘に葺石を持たないことから、古市古墳群の仲では最も新しい時期に属する可能性があります。

昭和五十三年に大阪府教育委員会の発掘調査によって、「八島塚(やしまづか)」、「中山塚(なかやまづか)」の間の周濠から巨大な修羅(しゅら)(運搬用の木ゾリ)が出土しました。

現在同型同大の模型の修羅(しゅら)が、道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)に展示されています。

また、本古墳北方の段丘崖を利用して埴輪を焼く窯が多数見つかっています。

修羅(しゅら)と共に「三ツ塚(みつつか)古墳」の被葬者を考える上で注目されます。』

助太山古墳 中山塚古墳 八島塚古墳
墳丘長(一辺) 36m 50m 50m
墳丘部の高さ T.P. 6.0m T.P. 8.5m T.P. 8.0m


それにしても、「三ツ塚(みつつか)古墳」のそれぞれの「八島塚(やしまづか)」、「中山塚(なかやまづか)」、「助太山(すけたやま)古墳」の間に民家が立っているのですが、「いつ」どのような経緯で「私有地(民有地)」になるのでしょうか。

東大阪市の枚岡にある「五条(ごじょう)古墳」も私有地で見学希望の方は事前に連絡をと看板がかかっていました。

枚岡の場合は山を所有していて、後に発見されたというのであれば理解できるのですが、この古市古墳群のあたりは明らかに後で家が建っています。

私はこの古墳の北側に沿った道を歩いたのですが、南側にも道があるようです。

私の歩いた道はそのまま西へ向かうと「道明寺(どうみょうじ)」や藤井寺市道明寺に鎮座する「道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)」を経て近鉄南大阪線の道明寺駅までたどり着きます。

道明寺(どうみょうじ)」には、私のお気に入りの「切り株」や「道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)」には君が代に出てくる「さざれ石」もあります。


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