(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2010年01月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

大阪市生野区巽西 横野神社蹟


大阪市生野区巽西に鎮座していた横野神社(よこのじんじゃ)蹟です。生野区のホームページでは「横野神社(よこのじんじゃ)跡」となっています。

いやはや、地形図に印を入れていたのですが、発見するのに時間がかかりました。

この史跡、「有名なので訪問者も多く前に車を止めないように」というお願いの看板が掛かっています。

うれしい限りです。

横野神社(よこのじんじゃ)

この社地はもと河内国渋川郡大地村の神社で、古来より印地之宮または西之宮と呼ばれ、平安時代の延喜式の古社であった。

御祭神は十一代垂仁天皇の皇子印色入日子の命で、社地は元々三百坪の境内であった。

その起原は、日本書紀仁徳天皇十三年の條に「冬十月横野堤ヲ築ク」という記述があり、昔この付近を流れていた橘川(古平野川)の氾濫を防ぐため巨大な堤防を築かれたと云われ、その堤の安全と河水の穏流を願って造営されたのが当社の始まりと云われている。

又、当地を詠んだ古歌、万葉集に、

「紫の根延ふ横野の春野には君をかけつつ鴬鳴くも」

続いて続古今集に

「霜桔の横野の堤風さえて入り汐さえて入り汐遠く千鳥鳴くなり」

と云う歌があり、当時この辺りが海に近かったことが偲ばれるのである。

神社の変遷

江戸時代前期延宝年間に至り、社地は荒果て社殿も吹倒されたため同村、大地村八幡宮(現・巽神社(たつみじんじゃ))の境内に御祭神を移したことがあった。

その後、享保年間になって、有名な五畿内志を著した当時の国学者の並河誠所がこの社地をお調べになり、由緒ある旧社である旨を庄屋松久善左衛門に申し聞かせ、これにより享保十六年公儀のお許しを得て村民達により立派に再興された。

以来、宮座を組んで連綿と神燈を守ってきたが、明治四十年の神社合祀令により巽神社(たつみじんじゃ)に合祀され廃社となった。

正面の碑は大正八年宮座、横野講の人々によって建てられたものである。

尚、前方左側の碑は平成四年に建立された万葉碑である。

万葉学の大家、犬養孝先生の揮毫になるもので、同年三月三十一日同氏により除幕された。

平成五年九月吉日

横野万葉会 謹記』

ところで、生野区のホームページに『また、仁徳天皇13年にはおそらくこの辺り一帯にあったと思われる『横野堤』を築き、翌年には『つるのはし』を架けたと伝えられ、この横野堤の守護神が横野神社(よこのじんじゃ)であったといわれています。』

とありますが、「つるのはし史跡公園」は、JR桃谷駅から2kmほど南へ商店街を抜けて信号を渡り100mほど直進した辺りにありますので、この場所から徒歩で行くには少し距離がありすぎると思います。

いずれにしろ、この辺りの神社は生野区巽南に鎮座する巽神社(たつみじんじゃ)に合祀されたようです。


関連情報レポートリンク

【大阪市生野区 神社一覧】