(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年12月17日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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松原市北新町 布忍神社〔布忍宮 藤の宮〕


大阪府松原市北新町に鎮座する布忍神社(ぬのせじんじゃ)です。別称は、「布忍宮」または「藤の宮」と呼ばれています。〔公式HP〕もあります。

松原市最後の神社になりましたが、電池はこの神社から西除川を渡り大林寺で切れました。

大林寺から50m程東に稲荷社を発見したのですが再訪問するしかありません。


布忍神社(ぬのせじんじゃ)

布忍神社(ぬのせじんじゃ)には、速須佐男之尊(はやすさのをのみこと)八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)武甕槌雄之尊(たけみかずちおのみこと)の三神が祭られている。

伝えによると18町(約2km)北方の天見丘から祭神をこの地に白布を敷いて迎えたのでこの地を布忍、村里を向井と呼ぶようになったと言われている。

昭和五十八年(1983)、本殿修理時に両側面より江戸時代初期の狩野派絵師による唐獅子の壁画、脇障子から舞人の下絵、本殿下からは小絵馬と寛文三年(1663)の奉納札が見つかり、また扁額も江戸時代初期の黄檗宗総本山宇治万福寺第五世高泉性●(こうせんしょうとん)禅師(1633-1695)の書であることが明らかになり、本殿の建立年代が推察される。

一方、宝永二年(1705)に奉納された布忍八景絵馬は、当地の文化水準を示すものとして貴重である。

また「日本書紀」景行天皇五十一年八月一日に「布忍入姫命」「新撰姓氏録」河内国皇別には「布忍首」の記載があり、当社との関連について今後の研究が期待される。』


この説明を読んでいて、日本には平安時代やそれ以前から現代に続く、明らかに人的な壁が存在し、支配する側とされる側が固定して今に至っているように感じます。

当然ですが、歴史に登場するのは殆どが支配する側の一部の人々で、支配される側の人のことは殆ど歴史に登場することはありません。

近代になり、その壁を打ち破って登場するのは、芸術や芸能関係やスポーツなどで名を残したり功績をあげた者もいますが、今から数千年後にはその事も消えてしまい、政治的な事などしか語り継がれないのではないでしょうか。

少なくとも神社などでは、奉納した者の名が残ったりしていますが、面白いことに明治になって付けられたはずの名字が掘り込まれている石塔や石標や石燈篭が沢山あります。

どうやら、江戸時代などは名字があったのだが、公式に名乗れなかったという説があるのですが、真実は神社などに残っていることは間違いなさそうです。


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【松原市 神社一覧】