(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2009年12月03日,2010年06月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市住吉区沢之町 止止呂支比賣命神社〔若松宮〕


大阪市住吉区沢之町に鎮座する止止呂支比賣命神社(とどろきひめみことじんじゃ)です。別称は、「若松宮」と言います。

よく考えてみるとこの周辺に来たのも初めてなのですが、なかなか雰囲気は大阪の町を感じさせますが、大阪市内という区分で考えると大阪環状線の内側から少し外側までとは大きく異なります。

但し、まったくの違和感というのは感じません。

『御祭神 素盞嗚命尊(すさのをのみこと)

   稲田姫尊(いなだひめのみこと)

御鎮座の年代は不詳でありますが、延喜式(850)の神社神名帳に、当神社名がみられます。

当時、境内松林の中に清らかな水が湧く轟池にトドロキという橋が架っており、住吉大社の摂社(奥の院)として奉斎されておりました。

承久三年、後鳥羽上皇が行幸のおり、当神社境内地内に行宮(あんぐう)を、お築てになったことにより、若松神社又は若松宮と称し、氏子の方々より「若松さん」とひたしまれ氏神様として崇め奉られております。

現在の氏子区域は、墨江、清水丘、遠里小野、安立住之江、西住之江、浜口東、浜口西、沢之、殿辻、千躰南住吉(二?四丁目)の各町と山之内の一部です。

祭日

春祭 四月八日(鎮火祭)

夏祭 七月十一日・十二日

秋祭 十月七日・八日

冬祭 十二月八日(鎮火祭)』

写真の石碑は、大阪市指定文化財となっています。

『天水分豊浦命社社号標石

この石碑は、もと住之江区の安立にあった天水分豊浦命神社(あめのみくまりとようらのみことじんじゃ)が、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」という書物に登場する式内社(しきないしゃ)という格式のある神社のひとつ。

天水分豊浦命社(あめのみくまりとようらのみことしゃ)と考えられることを示しています。

江戸時代中期の学者、並河誠所(なびかせいしょ)は、当時すでによくわからなくなっていた近畿地方の式内社(しきないしゃ)の場所を研究し、式内社(しきないしゃ)と考えられる神社に目印となる石碑を建てることを計画しました。

1736年頃に、幕府の協力を得て、誠所の弟子が大阪周辺に二十基の石碑を建てました。

うち四基が大阪市内にあり、そのひとつがこの石碑です。

正面には「天水分豊浦命社」の社号が、向かって右側には「安立町(あんりゅうまち)」と場所が刻まれています。

台石には「菅廣房建(すがひろふさたてる)」とあり、石碑を建てるための資金を出したと考えられる人物名を記しています。

明治四十年(1907)に天水分豊浦命社が、止止呂支比賣命神社(とどろきひめみことじんじゃ)遷御(せんぎょ)されたため、石碑もこの地に移りました。』

と説明されています。

そういえば、鶴見区放出東に鎮座する婀遅速雄神社(あちはやおじんじゃ)にも、同じような「標石」があったような気がしてレポートを見たら写真に写っています。

説明書きによると二十基のうちの一基なのでしょうか。


関連情報レポートリンク

【大阪市住吉区 神社一覧】