(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年11月25日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市住吉区住吉 浄土宗 金龍山 一運寺


大阪市住吉区住吉に在る「浄土宗 金龍山 一運寺(いちうんじ)」です。

住吉大社の境内摂社「大海神社(おおわたつみじんじゃ、だいかいじんじゃ)」から北へ抜けて、真っ直ぐに北へ抜けると生根神社(いくねじんじゃ)ですが、東へ向かうと「一運寺」という石標を見つけることが出来ます。

塀沿いの道ではなく、北側の道をたどると門に到着します。

開門していたので中に入ってみました。

掃除をされていた奥さんに断って写真を撮らせていただきました。

『義士の墓 由来記(梅原 忠次郎)

摂津國の官幣大社住吉大社の摂社大海神社の境内を北へ抜けると、すぐ廣い道の向ふ側に、昔ながらの甃ただみを背景にした寺が在る。

浄土宗 一運寺(いちうんじ)と云ふ。

最近、門前に「義士の墓あり」と木標を立てたが、自分は数十年来此附近に住むで居ったので、以前からその所在は知って居たものの、何故に所縁もない此寺に赤穂義士の墓があるのかは、先住の僧に聞いたものの要領を得ず。

世の中に発表することを避けたのではあるが、各は寺でも喧傳する。

好事家の人々からも自分に尋ねられるので、ここに古老から傳へられたままを書いて見ることとしよう。

物寂びた一運寺(いちうんじ)の門を入るとすぐ墓地となり、本堂はずっと石敷の詣道の奥になる、

その石敷の右側、薮の前に、石地蔵と歌碑につづいて左3基の墓と、無縫塔はある。

この三つの墓は、大石父子と寺坂吉右衛門の墓である。

さて此寺にこの三つの墓のみならず四十七士の墓がずらりと並むのであった。

龍海寺は彼の天野屋利兵衛の菩提寺で、利兵衛より四代目の當主は仁侠の人で、當時赤穂義士の名●が頼る宣傳せられたので、一つは世人への宣傳にもとの考へからその菩提寺に四十七士の墓を建て、持佛堂内には四十七士木像を安置したのであった。

然るに●●の際廃寺となるに當り、此多くの墓石は他の庭石などに持ち去れまたは砕かれつつあった。

一運寺の先々住某、折から之を見て驚き歎き、既に失ひしは己むな●●。

●●●●を●た三機を一運寺内に運ばしめ、●とに●●して建立したのであった。

傍らの無縫塔は即ち先々住の墓碑である。

木像の行方は、大阪天王寺茶臼山池畔の、観音寺(かんのんじ)内に、●●●●●に●り建てられて、此も赤穂義士に所縁ありげに、●●…●。

●●…●。』(●は、残念ながら水滴で読めませんでした。)

私はチャンバラ好きでしたが、何故か「赤穂四十七義士」の話は大嫌いです。

今でもまったく興味がないというか、芝居だろうと思っているのです。

私の後につづいて寺の門をくぐった方が数名いらっしゃいましたが、ファンの方なのでしょうか。

その方には、まったく申し訳ない説明でしかありません。

それにしても、宣伝の為の墓かと思うとまた興味がなくなってしまいます。

お寺は凄く雰囲気のいいお寺ですよ。

墓石を見ても仕方がありませんが、地蔵さまや鐘も突けるようですし、どうですか。