(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年11月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市東住吉区北田辺 生根神社〔奥の天神〕


大阪市東住吉区北田辺に鎮座する生根神社(いくねじんじゃ)です。別称は、「奥の天神」と言われています。

西成区玉出西に鎮座する「生根神社(いくねじんじゃ)〔上の天神〕」にはここから「少彦名神」を分霊したとされているようです。

直線距離にすると1km少しなので、土地勘があればそんなに遠い場所ではなさそうです。


『天満宮御由緒略記

境内社の天満宮は室町後期の建造物と推定され御祭神菅公の御本像は文明十四年天台法主融円律師作の在銘ある国宝級の御神体が安置サル別名奥ノ天神名は住吉大社の奥ノ天満宮を称したとも言われています。

勤学の守護神 通称 奥の天神』


けっこうな境内地を有する神社であるとも思いましたが、鳥居から南に見えるのは住吉大社の北の端(大海神社)のようです。

なんとも近いのと思うのですが、もともとは住吉大社(すみよしたいしゃ)の境内であったという説も頷ける程度の距離です。

阪堺電気鉄道の上町線(阿倍野-住吉)がこの神社の南側ではなく、北側を通っているのも住吉大社(すみよしたいしゃ)の境内を避けたような通り方です。


『旧粉浜中在家村 塞神社

源平両氏の保元の乱の結果敗死の源氏方の八名の武士とその●●へ摂津の住吉に難を避●附近の●●を開拓し四年半後、慶保元年(1161)十一月十六日に開発事業完成此地を粉浜村と名付け農業に専従明應三年(1494)三月南隣地へ移転して中在家村と改む。

塞神社は代々粉浜八家の氏神として八名の武士を祭神と御祀塞神を併祀する』


塞神社の横の石碑に彫られていますが、判別不明の文字はまた訪問した時に調べます。

あまり良く理解できていないのですが、この神社の説明書きがないので、インターネットで見た「式内社(しきないしゃ)」というのは独立しているという意味ではないのでしょうか。

社伝によれば「住吉大社(すみよしたいしゃ)」よりも古くからこの地に鎮座しているなどと言いますが、「菅原道真公」は時代が新しくなるのではないでしょうか。

そもそも摂津一の宮の「住吉大社(すみよしたいしゃ)」との時代の前後する歴史的な事実は何処にあるのでしょうか。

その辺を説明した由緒書きがあれば嬉しいと感じました。


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