(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年11月05日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市西成区岸里東 天満宮〔天神ノ森天満宮〕


大阪市西成区岸里東に鎮座する天満宮(てんまんぐう)です。別称は「天神ノ森天満宮(てんじんのもりてんまんぐう)」と言います。

由緒書きには、一名「天神森天満宮(てんじんもりてんまんぐう)」「天下茶屋天満宮(てんがちゃやてんまんぐう)」「子安天満宮(こやすてんまんぐう)」「紹鴎森天満宮(じょうおうのもりてんまんぐう)」と詳細されています。

鳥居前の「住吉街道(すみよしかいどう)」を挟んで豊富秀吉公の「天下茶屋(てんがちゃや)」があったようです。

天満宮(てんまんぐう)由緒略記

御鎮座

応永年間(1394-1428)に京都北野天満宮(きたのてんまんぐう)の御分霊を奉斎した。

御神徳

御祭神菅原道真公は、学者・政治家として大きな業績を残され、特に学芸をよくしたことから、文字や詩歌・学問の神として広く崇敬されている。

また当社は子安天満宮(こやすてんまんぐう)として、古くより安産祈祷を受ける人が多い。

由緒

道真公が筑紫へ左遷されたおり、住吉明神(すみよしみょうじん)へ参拝の途中この地に休息され、その後、祠が建立され、応永年間に京都北野天満宮(きたのてんまんぐう)の御分霊を奉斎した。

現在の本殿は元禄十五年(1702)七月に建設されたものである。

子安石

当社にまつられている「子安石」は古くより安産の神として、多くの人々に信仰されている。

豊富秀吉も淀君懐妊のとき参詣し、安産を祈祷され、安らかに秀頼公の出産をみられた。

紹鴎森(じょうおうのもり)

樹齢六百年を越えるくすの木(大阪市保存樹林指定)の森は「天神の森」とよばれ、茶道中興の祖、武野紹鴎(千利休の師)がこの森の一隅に茶室を作り、風月を友として暮らしたので「紹鴎森(じょうおうのもり)」とも呼ばれた。

秀吉公が堺政所に往来の途中、天満宮西側の茶店で休息。

この付近の風景を賞したことから、この地を殿下の茶店天下茶屋(てんがちゃや)と称することになり、当社も「天下茶屋天満宮(てんがちゃやてんまんぐう)」と呼ばれることになった。』

天下茶屋(てんがちゃや)仇討ち供養塔

慶長十四年(1609)備前の人、林源次郎が父と兄の仇、当麻三郎衛門を討ち、本懐をとげたと伝えられている「出口橋」別名「くやし橋」「残念橋」が当社の南50m住吉街道(すみよしかいどう)沿いにあった。

文政十一年と十二年(1929)にこの橋のたもと、供養のため二大宝塔が建てられたが、道路拡張により昭和三十三年当社に移された。

いずれにしろ、しっかりとした樹齢のある樹木が覆っている神社です。

それにしても、かなり立派な拝殿であると思ったのですが、かなりの境内地も有していますし、私が訪問していた時にも社務所に訪問していた方がいましたが、安産の祈祷の予約だったのでしょうか。