(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年11月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市阿倍野区北畠 阿部野神社


大阪市阿倍野区北畠に鎮座する阿部野神社(あべのじんじゃ)〔公式HP〕です。

いやはや、広大な境内地を有しています。

境内内に摂社でしょうか「旗上稲荷社」という稲荷社があるのですが、摂社の規模ではないような気がします。

阿部野神社(あべのじんじゃ) 由緒

北畠親房公は殊に後醍醐天皇のご信任が厚く、「後の三房」と称された一人である。

後醍醐天皇の吉野御遷幸のあとは、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。

後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で『神皇正統記』を著した。

後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられ多が、正平九年(1354)四月十七日、病にて薨じられた。御年六十二歳であった。

北畠顕家公は親房公の御長子で、元弘三年(1333)八月陸奥の守に任じられ、同十年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽はたちまちにその威風に靡いた。

延元元年、足利尊氏が謀反を起こすと、上洛して九州に敗走させたが、延元三年(1338)京都回復のため再度上洛して五月二十二日、二十一歳で戦没された。

現在の神社の鎮座地は顕家公が足利軍と戦った古戦場で、明治十五年一月阿部野神社(あべのじんじゃ)と号して創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行され、別格官幣社に列せられた。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。』

いやはや、結構な規模があります。

このじんじゃの鎮座する場所は「ここは顕家が足利勢と戦った古戦場の跡」ということです。

本殿の周囲には、かなりの内容の資料が掲示されていてかなり興味深いのですが、時間がゆっくりある時にきて読み直さなければならないと思います。

写真に撮りましたが、そんなもので読める量ではありません。

興味深い内容が記載されていました。


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