(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年11月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市阿倍野区阿倍野元町 阿倍王子神社


大阪市阿倍野区阿倍野元町に鎮座する阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)〔公式HP〕です。別称は、「王子神社(おうじじんじゃ)」ということです。

結構、大都会の神社の雰囲気を持った社務所を国道沿いに持つので国道側から入った私はどうなっているのかと思いましたが、本殿や熊野街道(くまのかいどう)側から入ると、都会にも関わらず、神社らしい神社であるというか、なかなかの雰囲気を持っています。

大阪市内の特徴を併せ持つ神社であると思いました。


阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ) 御由緒

当神社の縁起絵巻(えんぎえまき)摂州東成郡阿倍権現縁記(せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ)」によれば、 当社は仁徳天皇によって創建され、平安時代の初期、天長三年(826)弘法大師空海が、淳和天皇の勅命で当社に参り、疫難退散(えきなんたいさん)祈祷(きとう)(しゅう)して(こう)なり、疫病を治癒(ちゆ)する寺という意味の「痾免寺(あめんでら)」(通阿倍(つうあべ))の勅額(ちょくがく)を朝廷より賜ったとされています。

阿倍野は古代の豪族「安倍氏(あべし)」の居住した土地で、奈良時代には安倍氏(あべし)の氏寺として阿部寺(あべでら)が存在しました。

この寺は口碑(くひ)に「阿部寺千軒坊(あべでらせんけんぼう)」と残される程の大寺であったと伝えられています。

ところが平安時代になると、安倍氏(あべし)が朝廷での勢力を失い、氏寺も四天王寺(してんのうじ)に併合される事になりました。

残された安倍氏の氏神社でしたが、当時熊野信仰が興り、途中の街道に熊野九十九王子(くまのきゅうじゅうきゅうおうじ)と呼ばれた沢山の王子社(おうじしゃ)が出来ると、当社の所在地が四天王寺(してんのうじ)住吉大社(すみよしたいしゃ)との丁度中間に存在し、王子社の立地に相応しいお宮でしたので、当社の西門筋(にしもんすじ)熊野街道(くまのかいどう)が整備され、熊野王子社(くまのおうじしゃ)の一つとなりました。

そこで当社は阿倍野に鎮座しますので、阿倍野王子(あべのおうじ)と呼ばれました。

王子社(おうじしゃ)の中には、熊野信仰(くまのしんこう)の衰退と共に退転したお宮も有りますが、幸い当社は中世以降、「阿倍野村の氏神」として信仰され、大阪府下では唯一の旧地現存の王子社として現在に至っております。』


この神社の東側の道は「熊野街道(くまのかいどう)」として堺方面に向けて、説明板が随所に設置されています。

結構な距離なのですが、住吉大社(すみよしたいしゃ)前にも「熊野街道(くまのかいどう)」の説明書きが続いています。

『もと熊野街道(くまのかいどう)

阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)〔公式HP〕の西側を通る、もと熊野街道(くまのかいどう)は、疫辺の津とも窪津(くぼつ)とも呼ばれた後世の八軒家から阿部王子を経て、和泉の海岸ぞいに南下し、紀伊路に入って熊野三山にいたる古道で、平安朝時代から鎌倉時代にかけて盛んであった、熊野信仰と深いつながりがあった。

街道筋には九十九カ所の遥拝所(ようはいしょ)があり、これを王子と呼び、人々はその社頭に参詣し休息をとって次の王子へ向かった。

阿倍野区史跡顕彰委員会』


熊野街道沿いの直ぐ北に「安倍清明」が祀られている「安倍清明神社(あべせいめいじんじゃ)」が鎮座しています。どうやら境外社と位置づけられているようです。


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