(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2009年10月27日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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枚方市藤阪天神町 菅原神社〔天満宮〕


大阪府枚方市藤阪天神町に鎮座する菅原神社(すがはらじんじゃ)です。鳥居の大きな額には「天満宮(てんまんぐう)」と表記されています。

別称は「藤阪天満宮(ふじさかてんまんぐう)」というようです。

春日神社(かすがじんじゃ)」がやっと終わったと思ったらこんどは「菅原神社(すがはらじんじゃ)」です。

枚方市長尾宮前町に鎮座する「菅原神社(すがはらじんじゃ)」と続きます。

藤阪天満宮(ふじさかてんまんぐう) 由来

一、藤阪村の始めは津田村から分かれたもので古くは、その名が永仁六年(657年前)三ノ宮造営奉加の村々中に記されている。

其の頃當社は津田郷の脇宮として三ノ宮座衆で祀られていたと傳えられている。

一、後土御門天皇の頃津田城主備後守正忠は、この地を聞き津田郷の一座を移植したので當時氏子は十二軒であったが、天文元年(423年前)明尾寺の邊に在った津ノ熊郷五軒が戦に焼けて當郷に加わったので十七軒となった。

その姓名は永祿二年(396年前)河州交野郡五ヶ郷(津田藤阪杉尊延寺穂谷)侍連名帳に記して三ノ宮神社に奉納したが、それは今も同社に残っている。

一、天正年中(364?382年前)津田城主主水頭正時は當社の造営をなし、村人は天満山を伐る開いて畑地や屋敷を●けた。

天満のお茶屋は、この宮の前にあって坂道の傍らの藤の古木と共に交野近在にその名をしれた。

一、當社の造営修復は、其の後寛永六年(326年前)及び寛文十一年(285年前)に行われた事が記録に傳えられている。

一、文久三年(92年前)當社の本殿として奈良春日大社(かすがたいしゃ)の一殿を寄附せられたので一同氏子は、その木材と當村に運んで組み立てたのが今日の春日造りの社殿である。

一、明治三十一年旧拝殿を改築して現在のものとしたこれと時を同じくして関西鉄道(片町線)開通し當社の境内を通過することとなった。

一、現在氏子総代は家木五一、猪熊和一郎、高島幾太郎、高島末春、寺島庄二郎、寺島建造の六名で宮司は藤平輿一である。

昭和三十年正月 長尾 片山長三誌』

この由緒書きが昭和三十年に書かれた内容のものであることは理解できますが、年月を考えると修理されているのではないかと思います。

境内を電車が走る神社は、藤井寺市沢田に鎮座している澤田八幡神社(さわだはちまんじんじゃ)の境内を近鉄南大阪線が走っていました。

古墳の「仲津姫(なかつひめ)陵」の北側にあります。

ここまでしっかりと歴史が書かれているのは訪問しても嬉しくなってしまいます。


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