(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年10月09日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市此花区春日出中 朝日神明社


大阪市此花区春日出中に鎮座する朝日神明社(あさひしんめいしゃ)です。

此花区島屋産土神社(うぶすなじんじゃ)からJR桜島線沿いにこの神社まで移動してきたのですが、途中の工場の大きさに驚いてしましました。

途中に踏切があったのですが、踏切の向こうに「工場敷地内一般立入禁止」という看板があります。

なんと工場専用の踏みきりなのですね。

『由緒

朝日神明社(あさひしんめいしゃ)は、朝日・日中・夕日の浪速三神明の一つとして有名であった朝日社(あさひしゃ)(東区神崎町)と皇太神社(こうたいじんじゃ)(此花区川岸町)を合祀したものである。

朝日宮(あさひぐう)(逆櫓社)は朱雀天皇の天應年間(940年頃)に平貞盛の創建するところであって「承平・天應年間」の後、貞盛の先勝を叡感された朱雀帝は、当社の御神徳を称えられ、朝日宮という神號を賜ったという。

当社はまさに勅願の故もあって豊臣秀吉の崇敬も厚く、年々米百俵を寄進された。

又、元和元年(1615)の大阪夏の陣に際し、真田幸村が当社に金色の采配を奉納して出陣したという。

尚、源義経が平家追討の途次朝日宮(あさひぐう)に戦勝の祈願をされた。

「一の谷」の合戦後、梶原景時と史上有名な「逆櫓の論」があったが、義経は、當社に祈願をこめているので戦勝疑いなしと景時の論を退け平家を西海に戦滅した。

此時より当社を一名逆櫓社ともいわれるようになったのである。

皇太神社(こうたいじんじゃ)は古くより川岸に在った。

この川岸町は、かつて南新田といわれたが伊勢神宮の御分霊を乞い受け神祠を造って新田の鎮守の社として奉斎していた。

皇太神社(こうたいじんじゃ)は、明治四十年に朝日宮を合祀して「朝日神明社(あさひしんめいしゃ)」と社號を改めた。

しかし川岸町一帯は世の進につれ工場地として発展した為、昭和六年現在地に遷宮した。

第二次対戦中(1945)惜しくも戦災を受け當社境内はもちろん朝日出一帯は焼土と化したが戦後総代・氏子崇敬者諸氏の尽力によって本殿・幣殿・拝殿・そして手水舎を復興し、現在に至っている。

朝日神明社(あさひしんめいしゃ)

それにしても、なかなか立派な神社ですし、きちんと歴史が書かれている由緒書きには感嘆の声しかありません。

P.S.

2010年3月8日に、熊野街道沿いの調査をしていて、この朝日神明社(あさひしんめいしゃ)が、大阪市中央区神崎町「史跡 朝日神明社(あさひしんめいしゃ)跡(坂口王子(さかぐちおうじ)伝承地)」から移転してきたものであることを知り歴史の深さを改めて認識しました。

現在、元の鎮座地には、大阪市中央区神崎町の南大江公園の中に「狸坂大明神(たぬきざかだいみょうじん)」が鎮座しています。


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