(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年08月21日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市浪速区敷津西 敷津松之宮〔大国主神社〕


大阪市浪速区敷津西に鎮座する「敷津松之宮(しきつまつのみや)大黒主神社(おおくにぬしじんじゃ)〕」です。別称は、「木津の大国さん」として親しまれています。

ここは、「大阪七福神」と「南海沿線七福神」の巡拝社となっているようで、「大黒さん」が置いてあるなと思ったのですが、大黒主神社(おおくにぬしじんじゃ)のなかに立派な木製の大黒さまの座像がありました。

それよりも、難波のヤマダ電機が直ぐそこに見えるのですが、こんなに近いとは思っていませんでした。

境外末社として大阪市西成区に敷津松之宮(しきつまつのみや)西成旅所(にしなりたびしょ)がある。ということですが、天下茶屋付近だそうなので、またの機会に訪問することにします。

この神社は、由緒書きが見つかりませんでしたが、なかなか面白い場所にあるのです。

この当たりは「木津」ということで、港であったからでしょうか。魚市場もありました。


『由緒

神功皇后、三韓征伐の後の凱旋の折り、務古水門に至る時、住吉大神、吾和魂は大津渟中倉之長峡に坐して、往来の船を看行すべしと託宣し、初めて住吉に社を定めて鎮座された。

かくして武内宿禰を従えて、浦つたいに敷津浜の航行された時、宿禰、荒磯浪の岸にうち寄せるのを見て、今より後は、ここを境として、潮満ちよすことなかれと、松樹三本を渚に植え、その松の下に素盞嗚尊を祀る。

これが当社の起源と伝えられている。 だから松の宮と云う。

清和天皇貞観八年、僧園如、初めて京都祇園の牛頭天王(ごずてんのう)を播磨国唐崎より勧請する際、当松の宮に立ち寄られ、 当社の祭神と同神であるので、これより当社も祇園または牛頭天王(ごずてんのう)社と称した。

今井啓一氏は「須牟地考」の中で、物部氏の一派の尋津物部が展開した地として住吉郡敷津村(敷津松之宮(しきつまつのみや))の地をあげておられる。その根拠についてはよく判らない。』


それにしても、「南海沿線七福神」については、知りませんでした。

霊場、神社、仏閣めぐり一覧に調べて加えておかなければなりません。

神社や仏閣をめぐり歩くのは、昔の旅の楽しみでもあったようですが、最近では神社を回る人が少ないようです。

仏閣には国宝級の建物や仏像などもありますが、神社はなかなかそのような高級なものではなくもっと庶民の生活に近いので観点を変えればより面白いと思うのですがいかがでしょうか。


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