(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年08月17日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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枚方市走谷 加茂健豆美命神社(加茂神社)


枚方市走谷に鎮座する「加茂健豆美命神社(かもたけずみのみことじんじゃ)」です。別称は、「加茂神社(かもじんじゃ)」と称されています

土地不案内な場所なのでたどり着いたのですが、方向を見失っていました。

蹉だ神社(さだじんじゃ)から等高線沿いに来たかったのですが、適当な道がなくて京阪電車沿いの道まで降りたので上がってくるのが大変でした。

『村社 加茂健豆美命神社(かもたけずみのみことじんじゃ) 由緒略記

例祭日 十月十五日

当社は人皇五十代桓武天皇の御代、勅命により和気清麿呂公、この地を河内一の宮として「賀茂の大神」を奉き祭れるがその始なりという。

古き史を繙けば、祭神「賀茂の大神」は、神武天皇、国を建つるにあたり、機内の豪族として大功をたて、山城の国を賜わるや、民生の安定に貢献、ために「賀茂御祖の大神」として奉斎さる。今の京都「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」これなり。

御分霊を当地に迎えるにあたり、賀茂の社家の人々多く移り住み。堂山に三千坪の神域を開き、その中腹に広壮な社殿を造営せり。

丘の下を走井と言い、今の走谷これなり、近くに清冽な御手洗川あり、社参の人々この川にて禊し、敬神の誠を拝けしという。

しかるに、約六百七十余年を経て、應仁の乱起り、惜しくも兵火にかかり一切の財宝消失し、今に残れるものなしと言う。

されども今日、走谷に宮の上、宮の下、大門前、堂前等の地名の残れるは、往時の隆盛を窺うに足ると言うべきか。

わが「加茂神社(かもじんじゃ)」は、これより百六十余年を経て、寛永六年に「産土神」として再建され、氏子の年長者が「一老」と言いて神主となり、明治五年「蹉だ神社(さだじんじゃ)」に合祀、同十二年、現在地に復社し今日に至る。

明治三十九年、加茂の森の浄財をもって拝殿を、昭和三十九年、社務所を新築、昭和四十九年、本殿を改築せり、境内に「御手洗、琴平」の小池あり。

神と人調和し、神宣に仕えるはわが民族の卓越せる資質にして、わが走谷も千百余年にわたりて「加茂の大神」を奉斎す。

当社、「加茂の大神」は、家内安全、夫婦和合縁結びに霊験あらたかなれが、、春秋の祭りをを始め初宮参り等などの祭りを怠りなく務め、神霊の加護にあずからんことを。

平成二年十月吉日

なるほど、最後の方の写真がピンボケですので祭日行事が読めません。

国道一号線の直ぐ側のようですが、高い壁があるせいか結構静かな神社です。

社務所では、子供たちがしっかりと勉強していました。


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