(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年08月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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枚方市南中振 蹉だ神社


枚方市南中振に鎮座する蹉だ神社(さだじんじゃ)です。鳥居の額には「蹉だ天満宮」と彫られています。

地形図でたどり着くのに苦労しました。地理不案内で汗だくで坂を一所懸命のぼっていたら、女性が日陰で休憩していたので「ここを登ると神社がありますか。」と聞いたら行き止まりと言われました。

神社はもう少し北側に有るとのことでした。


『蹉だ神社(さだじんじゃ) 由緒略記

祭神 菅原道真公

創立年代 天歴五年(951)

由緒

当社は延喜元年(901)正月菅公が太宰権師として九州は筑紫の太宰府へ御左遷途中此山にて暫時御休憩あり

遙に京の都を望み深く名残りを惜みて西へ旅立てり此の休息ありし山を菅相塚称ふ然るに都に残られし御公達の中にも御寵愛深かりし苅屋姫の君御別れを惜まれ御跡を慕ひて此地にならせられしが遂に及ばずして遙に西天を望み蹉?して悲嘆せらる其旧跡を蹉?山と名づく

菅公は御丈三尺二寸の御坐像を配所にて御手づから作らせ給ひしを村人らが当山に社殿を造営し近郷二十有五個村の産土神社「総社」として斎き祀りしが慶長十九年(1614)の兵乱に社殿は炎焼したれども、御神像のみは厳然と座せまししかば再建せられ中振・出口両村の産土神として泰祀せられる創建より幾多の変遷を経て明治五年より郷社に列せられ翌六年二月堺県より祠官を派遣しその後社職を欠かさず明治二十二年三月社殿を改築し今日に至れり。

御旅所 枚方市大字出口にあり』


そうですか。

菅原道真公の太宰府左遷の道程は神社で残っています。

大阪市城東区諏訪に鎮座する諏訪神社(すわじんじゃ)には、「菅公腰掛け石」がありました。

大阪市北区神山町に鎮座する綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)は、船を寄せて休憩されたとかの伝承が書いてありました。

当然ですが、藤井寺市道明寺に鎮座する道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)道明寺(どうみょうじ)にも様々な伝承が残っていました。

歴史の大きな1ページとなっているのですね。


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