(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年07月31日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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羽曳野市誉田 誉田八幡宮


羽曳野市誉田に鎮座する誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)です。別称は、「誉田さん」と称されて崇敬篤い応神天皇陵の南に位置する立派な神社です。

「誉田」は、応神天皇の別名で「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」のことであり、一般的に八幡神は「応神天皇(誉田別尊(ほんだわけのみこと))」と説明されています。

応神天皇陵の説明では面積では仁徳天皇陵がもっとも大きいのですが、容積では応神天皇陵と説明されていましたが、本当に大きな天皇陵です。


誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)

誉田別尊(ほんだわけのみこと)(ほんだわけのみこと:応神天皇)を祭神とし、永亨五年(1433)につくられた「誉田宗廟縁起」には、欽明天皇が命じて応神陵の前に営んだ社を、後冷泉天皇の頃(1045-68)になって、南へ一町(約109メートル)離れた現在の場所へ造り替えたことが伝えられている。

鎌倉時代から室町時代にかけては、源氏の氏神である八幡神を祀る社として、幕府の保護を受けて大いに興隆したが、戦国期にはたびたび合戦場となって兵火にかかることもあった。

その後、豊臣氏から社領の寄進や江戸幕府の庇護のもとに、社殿の債権と整備が進められた。

河内名所図絵(かわちめいしょずえ)」や天保九年(1838)の「河内国誉田八幡根本本社内之図(かわちこくこんだはちまんほんしゃないのず)」を見ると、本社や摂社(せっしゃ)神宮寺(じんぐうじ)塔頭(たっちゅう)など、多くの建物が並び、参詣の人々で賑わうようすがしのばれる。

源頼朝の寄進と伝えられる神輿(みこし)や、丸山古墳で出土した鞍金具などの国宝、重要文化財の「誉田宗廟縁起」や「神功皇后縁起」など、多数の貴重な文化財が社宝となっている。』


碓井八坂神社(うすいやさかじんじゃ)から、近鉄南大阪線の踏切を渡り国道の交差点にさしかかると、「誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)」の看板が目に止まり、そのまま道なりにたどり着きました。

いやはや、広大な境内です。

橿原神宮(かしはらじんぐう)には及びませんが、応神天皇陵を背景に広大な境内と立派な建物でびっくりしていまいました。

整理がつけば、境内社を紹介します。


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