(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年07月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

松原市田井城 田坐神社


松原市田井城に鎮座する田坐神社(たいじんじゃ)です。田座神社(たいじんじゃ)とも書くのでしょうか。

もっとも、由緒書きには「田坐」の字と「田井」が出てきますので、「坐」が正しいのでしょう。

始めて訪問した地ですのでまったく土地勘がありません。頼みの生駒山も頼れないくらい遠くなっています。

田坐神社(たいじんじゃ) 由来

松原村大字田井城字東口に在り周囲に土塀を●づし境内二百余坪

延喜式(913年編修)内お神社にして、その祭神は依羅宿弥(よさみのすくね)呉服漢織(くれはあやは)の女神、並び)豊宇気昆売神(とようけひめのかみ)を祭ると伝う。

貞観四年(862)四月従五位下を授けられ、官社の列し給いし旧社にして末社八座を存じ今八幡と称す。雄略天皇(四世紀後半)十四年呉服漢織、呉の国より来たりて住吉浦泊す。勅して丹比の田坐の地に迎う。即ち磯歯津路(いしつじ)を経て田坐の地に来り、桑を植え、(かいこ)を飼い、絹糸を作る。依羅宿弥(よさみのすくね)之を管す。云々

ー大阪府神社史に依るー

右の記述に明らかな如く、当社の由来は遠く四世紀に遡り、その由緒は●に深いものがある。更に日本書紀によれば、仁徳天皇この地に行幸せられ、綾織を見給い、その折りの殿舎仮宮のいわれにより田坐と称し、以後代々ここに綾織を織らしめ給うとある。

以上史実に照らすとき、当田坐の地こそ正に我が国における、養蚕、製糸、発祥の地であるといえる。

また田井城の地は奈良時代の歌集、万葉集にも在り、次の二首に詠まれている。

鶴がねの聞こゆる田井に いおりして

  吾が旅なりしと 妹に告げこそ

春霞たなびく田井に いおりつきて

  秋田刈るまで 思はしむらく』

田坐神社(たいじんじゃ)

田坐神社(たいじんじゃ)は延喜式内の神社で、三大実録によると、清和天皇の貞観四年(862)四月二十六日に、無位により従五位下を授けられ、同年五月十七日に官社に列した古社である。

古くは村人に八幡神を祀るといわれている。

明治五年(1872)に田井城村の荘園社となった。

和名抄によれば河内国丹比郡田邑(多無良)にあたり、田の中に存る神、田に坐す神から社名が生まれたという。

またこの地は、中世に石清水八幡領の田井荘となり、戦乱時には各地に環濠集落や砦ができ、田井城と呼ばれるようになった。

河内ふるさとのみち』

なかなか歴史の在る町だったのですね。河内国であったということでここまで来たかいがあります。


関連情報レポートリンク

【松原市 神社一覧】