(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年06月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市中央区淡路町 御霊神社


大阪市中央区淡路町に鎮座する御霊神社(ごりょうじんじゃ)です。

おもしろいというか、神社南側の道に沿ったビルの前に鳥居だけがあります。社務所で確認すると、昔は一角すべてが神社の境内地であり、その名残りであるということです。

崇敬が篤かったので鳥居を取り壊すことができなかったのでしょうか。西には「うどんすき」で有名になった美々卯本店があります。


『由緒

本神社は古来大阪市の船場、愛日、中之島、土佐堀、江戸堀、京町堀、靭、阿波座、薩摩堀及立売堀(いたちぼり)、長堀の西部、南北堀江の西部等旧摂津国津村郷の産土神と坐す。其地往昔海辺ぬかるみにて芦萩繁茂して國江と謂い円形の入江をなし、その口に瀬経津比売神、地主の神たる津布良彦神、津布良媛神を奉祀して國神祠と言ったのが蕩神社の古名である。

御神威高く上古、天皇御即位の大嘗祭につづく八十島祭に預り給うた、後土地次第に固成、村をなし其名も津村と転訛、豊公大坂居城と共に政治経済の中心として発展、諸大名来集して崇敬篤く什器の寄進相次いだ。

中にも石見国津和野藩主亀井茲●候、邸地を割いて寄進、文禄三年境内の乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀、寛文中御霊神社と改称、元禄九年御霊大明神と御贈号、宝暦三年九月正一位の神階を授けられる。

又、伏見宮家より神楽修復の御寄進あり、幕府本上代巡見社として崇敬、明治御視政により同六年郷社となり商業金融の中心地の鎮守として、商家の崇敬篤く大正二年府社に列し、朝まいりと夏祭りに南堀江の御旅所への神輿渡御列の華麗さは、浪速名物として現今に至る。

大正十五年境内の人形浄瑠璃の文楽座出火の際本殿類焼、昭和五年再建竣工を見たが昭和二十年三月十四日未明戦災に遭いすべて炎上した。

戦後坂本殿及び社務所一部を再建昭和二十四年奉賛会を組織して、神社及び神域復興に邁進、昭和三十二年十二月御社殿を再興、次いで昭和三十四年鳥居玉垣を再建、年を追うて往時に勝る神社の威容を整備しつつある。

尚、江戸時代末期まで、日本仏教の親元である比叡山延暦寺、天台宗神宮寺があり、観音堂本尊十一面観世音(慈覚大師作)は浪速観音巡禮三十三番目の札所として●に名高い。又、薬師如水道、伝教大師堂があった。』



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