(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年06月13日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂)


大阪市中央区本町に御堂筋に面した西側に位置する「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(つむらべついん)(北御堂(きたみどう))」(西本願寺)なのですが、良く考えると何回も来ています。

ただし、真宗大谷派の南御堂(みなみみどう)(難波別院(なんばべついん)) 御堂会館(東本願寺)との違いは今ひとつ知りませんでした。

「浄土真宗本願寺派 本願寺本願寺津村別院(つむらべついん)(北御堂(きたみどう))」公式ホームページを参考にしてください。

北御堂(きたみどう)と御堂筋

大阪一、いや日本一の美しい道路、シャンゼリゼ通りがパリの顔なら、いちょう並木の御堂筋は大阪の顔です。

その御堂筋は北御堂(きたみどう)・南御堂を結ぶ道路であることから時の関市長が命名されました。

因みに「北御堂(きたみどう)」は浄土真宗本願寺派(お西さんとも呼ばれています。)「本願寺本願寺津村別院(つむらべついん)()」というのが正式名称です。

私たちの大阪は、豊富秀吉が大阪城(1583)築城、以来城下町として栄えてきたと思われがちですが、本当は本願寺第八代「蓮如上人」がこの地を見出され、はじめて「大坂」という名をもちいられ、石山本願寺(1496:現大阪城あたり)を建立されたことに始まるのです。

その後、本願寺は京都に移りましたが、本願寺ゆかりの大阪の地に津村別院(つむらべついん)(北御堂(きたみどう))が建立され、寺内町として発展してきました。

かつては、「御堂さんの鐘が聞える処で暖簾(のれん)をはってまっせ」と、大阪商人の精神的バックボーンとしての役割を果たしてきたようにも思います。

このように、今日も北御堂(きたみどう)の境内は、昼休みの時、OL・ビジネスマンのオアシスとして、又、御堂筋は歌謡曲にも歌われる都会的ムードのある散歩道として、ともに国際商業都市大坂のみなさんに親しまれています。』

「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(つむらべついん)(北御堂(きたみどう))」公式ホームページを眺めていたら、「法話」のページを発見しました。

なかなか秀逸な内容ばかりです。

時間があれば、じっくりと読み進めてみてください。

結構味和深いないようばかりです。

人前で話をする機会の多い人には必要な知識であるかも知れませんね。