(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年05月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市北区天神橋 大阪天満宮 Vol.2 星合の池


大阪市北区天神橋に鎮座する大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)の北側にある「星合の池」の紹介をします。

ここを私たち夫婦が訪れたのは、もう数年前になります。最近有名になっているうどんに切れ目を入れた麺(すべらんうどん)が採用されていておじさんやおばさんに説明を受けて感心させられたのですが、本来は障害者用に開発したと言っておられたのが、箸の使い方が上手でない幼児や外国人に人気があるとニュースで言っていたのを記憶しています。

更に受験生などにも人気が出ているようで、梅に時期に訪問したらこれから「受験する」または「受験した」学生でいっぱいでした。

訪問した時期は梅の季節で、桜が綺麗に咲くから桜の頃にまた来てと言われていたのですが、今日は営業は終わっていました。綺麗に咲いています。

『星合の池

天歴三年(949)に天満宮が御鎮座になった時、この池水に霊光が映ったと伝承されている。

天正二年(1574)の石山軍記に「天満山の北、明星の池、星合の池の間、少し北に属し、織田信長本陣を布き」と録しているから、少なくとも千年以上の歴史を持つ古池である。

なお付近に七夕池、明星池、夫婦池等が明治年間まで現存していた事は昔「難波崎」の付近に残った沼沢の名残りであると思われる。

昭和の初めまで池には「宇賀の社」があり、紅梅紫藤が咲き乱れ、付近には歌舞伎を常打とした天満八千代座、浪花節の国光席、吉本興業発祥となった天満花月吉川館などの寄席が隣接していた歓楽街であり、極めてにぎやかであった。

池に架かっている「星合橋」は一名「愛嬌橋」とも言う。

当時適齢者の「見合」が行われたからである。

また、池畔にあった「白米稲荷」に因んだ「いなりずし」は。参詣者に賞味され、有名であった。

大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)

『祖霊社 由緒

当社は菅公御○○千八十年(昭和五十七年)を記念して御神縁の深い祖霊のご霊符の業績を顕彰し子孫の繁栄を記念するため建立奉祀した。』

社の場所がビルに囲まれているので大きくは見えないのですが、立派な建物です。

最も奥には、屋根の両端が少し変わった建物があります。

『川崎東照宮の神輿蔵

元和二年(1616)に徳川家康が没した翌年、源氏の造幣局から滝川小学校あたりに川崎東照宮が建立されました。

明治六年(1873)に廃社された後にその神輿蔵は当宮に移築されました、軒瓦に葵の御紋が見えます。』

大阪は秀吉だけではなく、信長や家康も頻繁に来ていたようであちらこちらに様々な痕跡が歴史として記録されています。

興味深いことです。


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