(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年04月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市生野区舎利寺 舎利尊勝寺


大阪市生野区舎利寺にある舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ)です。通称は「舎利寺(しゃりじ)」と呼ぶようで聞いたような記憶があります。

生野神社(いくのじんじゃ)へ向かって前を通りかかると、神社の手前にいかめしい門を発見しました。

舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ)と金字で掛かれた立派な額が掲げてあります。門が開いていたので中に入ってみました。

舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ)の由来

生野区の地名にもなっています「舎利寺(しゃりじ)」は通称で正式名称を「南岳山舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ)」と言います。

寺伝によると、用明天皇の頃、この里に住む生野長者と呼ばれる夫婦に言葉の不自由な子供が生まれました。

その子が十三歳の時、四天王寺(してんのうじ)を創建するために来られていた聖徳太子のお耳にこの話が入り、早速その子を呼ばれて

「予が前世にて汝に毘婆尸佛(びばしぶつ)舎利三顆(しゃりさんか)を預けていたが、今それを返しなさい」と申されました。

するとその子は涙を流して喜び、太子に三拝九拝して南無仏南無仏と唱えながら口より三顆(さんか)の仏舎利を出し太子に返されました。

それよりこの子は普通に話せるようになりました。

太子は三つの仏舎利のうち一つを法隆寺(ほうりゅうじ)に、一つを四天王寺(してんのうじ)に、残った一つを御自筆の御影をそえて長者に渡されました。

大変喜んだ長者は御堂を建て、この仏舎利を奉ったのが舎利寺(しゃりじ)の起源と言われています。

寺宝には太子の御影を始め春日明神画像や毘婆尸佛(びばしぶつ)舎利などがあります。

当寺は、千四百年近い歴史を持つ由緒ある寺です。

その間には幾度かの災害や兵火に羅り、堂塔ことごとく荒廃しましたが、そのつど寺宝を守るため、多くの世話人や達衆という和尚が寺の維持に努力されました。

その後、寛文十二年(1672)徳川四代将軍家綱公より黄檗山万福寺(まんぷくじ)の木庵禅師に当寺の再興を計るよう命ぜられ、その高弟悦山和尚が伽藍を再建し、それより尊勝寺の名称を賜りました。

寛永年間に出された摂津名所絵図と言う本にも載っています。

以降、また寺は荒れましたが、嘉永年間、三十二代目幸道和尚によって修築され西国三十三所の石像観音などが造られました。

また寺内には江戸中期の儒学者(すが)甘谷(かんこく)先生の墓もあります。

なお、梵鐘(ぼんしょう)は延宝四年(1676)に製作されたもので、長者の話をはじめ寺歴が漢字で陰刻されています。

以来三百二十五回を数える除夜の鐘撞きも、近年では数百人の方々が鐘を撞いて新年を迎えておられます。

舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ) 第四十代 小川 善明 謹記

平成十四年九月 横野万葉会 建立』

西国三十三所めぐりの観音をこの舎利寺(しゃりじ)の中で回れるようにしてあるようです。

写真を取り終えたら、住職の奥さんが出てきて、「どこから、来ましたか」というので、小阪から永和、布施を抜けてきました。

というと、「昔は、布施からうちのお寺の白い壁が見えたそうです。」と言われて、「お寺の説明のテープを聴きますか」といわれたので聴かせていただきました。

少し離れて写真を取りながら聞くのでボリュームを大きくしたら、奥さんが出てきて「近所の人が毎日聴かされて苦情があるのでボリュームを小さくしてください」といわれるので、「謝って小さくしたのですが。」この奥さん、話が好きなようで、別の説明をしてくれます。

たまたま天王寺の大阪市立博物館で開催予定のものを住職と見に行くということで準備をしているのですが、話をしていたらまた置いていかれるかもなんて言いながら止まりません。

かなり立派なお寺ですし、三十三所は一所が阪神大震災で倒壊仕掛けて危険なので撤去したので一つ足りませんとおっしゃっていました。

また別の機会に紹介しますが、先日訪問した藤井寺市藤井寺の葛井寺(ふじいでら)にも同じように三十三所巡りできるように観音様が儲けられていました。

大東市野崎の野崎観音(のざきかんのん)(曹洞宗 福聚山慈眼寺(じがんじ))では、観音像が飾られている堂があり、ご自由にお入りくださいなんて書いてあったので入ろうとしたら鍵がきっちりとかけられていました。