(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年04月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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柏原市-藤井寺市 有形文化財 玉手橋


道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)から応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)までグルッと散策してきたのですが、時間的には余裕があるので石川の堤防へ出てみることにしました。

道明寺駅の南側の踏切を渡って玉手山の見える方角へ歩きながら、「昔は、東洋一の大観覧車」が見えたのにと妻と笑いながら歩いて堤防に上がってみると橋が見えてきました。

私の記憶にはここに橋があった記憶はありません。


玉手橋(たまてばし)

文化庁登録有形文化財

この橋は昭和三年に架橋され五径間吊橋としては全国初の登録有形文化財になりました。』


ん、私が何回かこの玉手山から降りてきて古市の方角へ行ったことはあるのですが、この橋は記憶にありません。この橋を知っていれば大和川と石川の合流地点を服を着たまま渡る必要はなかったのにと無責任に考えてしまいます。

中学生時代の事で川を服を着たまま渡ことも楽しい遊びであったことは否めません。


『石川河川公園 玉手橋であいの岸辺

石川流域の歴史と文化

石川は、大阪と奈良・和歌山の境をなす金剛・葛城山系に源を発し、天見川、千早川、梅川、飛鳥川を集めながら大和川と合流する。

柏原市における流域は片山町、石川町、玉手町、円明町で、古くは河内国安宿郡尾張郷と称した地である。

この辺りの石川の流れを、昔は博多川、あるいは伯太川ともいう。

玉手町の伯太彦神社(はくたひこじんじゃ)、円明町の伯太姫神社(はくたひめじんじゃ)の祭神伯太彦命、伯太姫命に由来するものである。

両神社は、ともに式内社(しきないしゃ)で、得に鋤一口朝廷から奉った由緒深い神社である、(延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう))

石川に挑む玉手山丘陵は、古代から重要視された地点で、古墳時代前期(四世紀?五世紀初頭)の古墳が多く築造されたが、この古墳群は国土統一の進められた五世紀初頭における国家成立に看過することのできない地位をもつものである。(柏原市史)

時代が下って元和元年(1615)、大阪夏の陣で豊臣方、徳川軍がこの玉手山丘陵を最重視し、その制圧をかけて激突したことは有名である。

勝負山(小松山)の地名を今に残している。

清流と丘陵に恵まれたこの景勝の地は、奈良町の頃大変な賑わいを見る。

宝亀元年(770)、三月三日、由義宮(ゆぎみや)(八尾市)行幸の称徳女帝(孝謙天皇)が車駕を連ねて伯太川(博多川)に臨幸し、宴遊を催した。

これには百官の文人及び大学生らが供奉し夫々曲水の詩を奏し奉った。いわゆる曲水の宴である。

また、三月二十八日、近在の豪族葛井、船、津、文、武生、蔵の六氏族の男女二百三十人が歌垣を奉催した。

青摺の衣に紅色の長紐を垂れた色彩豊かな服装の男女が相並んで、分かれて徐かに進みながら歌った。

「乙女らに男立添い踏みならす 西ノ京は万世の宮」と歌い由義宮(西ノ京)を言祝いだ。

また、「渕も瀬も清くさやけし博多川、千歳をまちて澄める川かも」と歌い、川の流れと安らかな時世を褒め賛えた。(続日本記)』


なんかいろいろと説明されていますね。

藤井寺側にはサイクリングロードが整備されていて、河内長野までつながっています。

そこまで遡ると石川も清流に見えてきます。