(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年04月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市平野区瓜破 瓜破天神社


大阪市平野区瓜破に鎮座する「瓜破天神社(うりわりてんじんじゃ)」です。別称は「瓜破神社(うりわりじんじゃ)」と呼称されています。

この神社を中心になんとなくややこしくなってきました、西瓜破天神社(にしうりわりてんじんじゃ)と、小松神社(こまつじんじゃ)は地形図上に存在していますが、成本天神社(なるもとてんじんじゃ)は地形図上にはありません。

なんとも不可解です。以下の由緒書きに答えがありました。


瓜破天神社(うりわりてんじんじゃ)

瓜破の歴史を記録し唯一現存する船戸録(元文元年、1736記)によれば、孝徳天皇の大化年中(645-649)当地に居住された高僧、船氏道昭が、五月晦日日三密の教法観念の折、庵室に光る天神の尊像が現れたので、西瓜を割って霊前に供えた。

道昭は朝廷に上申したところ方八丁の宮地を賜わり、この霊像を祭祀して当所の氏神と崇め奉り、西の宮又は方八丁の宮と称したのが当社の起源であると記されている。

当社の北部に牛頭天王(ごずてんのう)を祀る社(祭神 素盞嗚尊(すさのをのみこと)、起源鎮座年不詳)があって北の宮と言われていた。

慶長年代(1596-1614)に至り公命によって北の宮を西の宮へ合祀した。

寛永年間(1624-1643)に耕作の都合で集団移住し西川村(旧西瓜破)を形成し、そこに氏神として祀った天満宮(てんまんぐう)(祭神 菅原道真(すがわらみちざね)、創立鎮座年月不詳)、さらに東北部に東の宮と称した小松大明神社(こまつだいみょうじんじゃ)(祭神 平維盛)があった。

この社は、壽永年間(1182-3)平重盛に大恩を受けた源氏の武将湯浅七郎兵衛宗光が京都守護職として赴く際、統治にて重盛の嫡子、維盛が熊野浦にて入水の由を聞き及び追悼慰霊を営み、神領五十歩を寄進して宮居を建てたのが起源とされている。

その後天和年間(1681-1683)当地本郷地、村民の熱意によって現今の地に勧請され氏神(小松神社(こまつじんじゃ))となる。

以上の各社、社領地は、特に永正より大永年間(1504-1527)に亘る足利と細川の摂津河内の戦乱に被害をうけたが、村民は維持、興隆に努めてきた。

明治四十三年には公命により各社は、当天神社に合祀され、昭和時代を迎えて村民の希望によって、再び各社に分霊鎮座された。

現在社殿は、東面し流造桧皮葺、江戸末期の修葺で境内末社として稲荷社(祭神 倉稲魂命)、創立鎮座年月不詳)がある。』


なんとなくややっこしいなと思っていたのですが、この由緒書きを見るとはっきりとしました。


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