(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2009年04月06日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市東住吉区住道矢田 中臣須牟地神社


大阪市東住吉区住道矢田に鎮座する中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)です。別称は、「住道神」というそうです。

なんとも不思議な神社です。鳥居があって中に入って延々と玉垣に沿って歩いていくと手水舎があり、拝殿が見えてきました。

裏に回って本殿のあたりにいくと土塀の跡がロープで保護されていますが、雨で侵食されています。

『由緒

平安時代に定まりました延喜式と申す規則によりますと、当社は勅使のおまいりなさっておられました大社であることが明らかであります。

これは戦前の官幣大社と同格でありまして、当代一流のお宮でございます。

もちろんこの規則のきまるずっと前から堂々たる大社であったはずでございます。

南北朝時代から室町時代にわたる長い間の戦乱によって、しだいに当社の御由緒は忘れられてしまったようです。

当社は、中臣(なかとみ)氏の祖先であり神武天皇にお仕え申された天種子命(あめのたねこのみこと)をはじめ、その御一族や御子孫のかたがたが、二千数百年以上もの昔から在住せられた誠に由緒ある地の神社でございます。

大化改新には、この中臣氏から藤原鎌足公があらわれて大きな手柄をお建てになりました。

また御子不比等(ふひと)公をはじめ御子孫の中には、奈良から京都へとつねに天皇さまのおそばにお仕えして、歴史上重要な役目をはたされたかたがたが多いのであります。

藤原不比等公は勅命をお受け担って、大昔から中臣氏の根拠地であった当地に、御先祖をあわせまつられたのでございます[社記]。

もちろん中臣氏は、朝廷の祭祀をうけもつて来たのですから、ごく古い時代からここでお祭りをおこなうていたのは明らかであります。

考古学の研究によりますと、当地は、畿内での弥生式農耕文化の発祥地であり、弥生式文化時代全体にわたる広大な住居地であります。

ここに発達した農耕文化は、紀元前後には畿内全体に広がり、三世紀ごろには日本全体に影響したといわれます。

祟神天皇はここにわが国最古の依網(よさみ)池を作られ、埀仁天皇は最大の狭山(さやま)池をつくられて、年々豊作が続き、やがて朝廷のいきおいは朝鮮半島にまで及びました。

応仁天皇の御代に、大陸の人達が、本国の戦乱をさけて平和な我が国に新しい大陸文化を伝えました。

わが国内は、神をまつる固有の信仰で固く結ばれ幸せに暮らしていましたから、その人たちも当社の神酒を賜うて、神にかよう(けがれ)(はら)いました。

[延喜式]忌部記文にも、「スムチ(当社)の神酒を賜うて穢を祓わない者は日本人ではない。」と申しております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年』

拝殿正面の鳥居の写真を撮ろうとしてビックリしました。閉鎖されています。「えっ、入ってはいかんかったのか。」と思って写真をとり終えたので退散して外から写真を撮りに行くことにしました。

外から鳥居の写真を撮っていると、女性がお参りに入って来たので安心しました。

別に中には入り込んではいけないことはなかったのんですね。

それにしても、敷地も広大ですし、ちょっと不思議な神社です。興味が沸きます。


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