(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年04月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市生野区巽南 史績 楠正長旧跡


先日は、四條畷で史跡 小楠公墓地(しょうなんこう)を訪問したのですが、生野の地でも楠一族の史跡があるとは知りませんでした。

国道309号線を南下したことはありません。

北上しようとして途中で迷ってしまった記憶は何回もあるのですが…

『史績 楠 正長(くすのき まさなが)旧跡 由来

巽南の地は、もと河内国渋川郡四条村といい、この一画はその氏神天神社(てんじんじゃ)のあった所である。

楠 正長(くすのき まさなが)は、南北朝時代の武将、楠 正成(くすのき まさしげ)の孫にあたる人で正成の子正儀(まさのり)の三男として文中元年(1372)春、隣村の正覚村に生まれた。

幼名を三虎三郎といい四条桑原寺の僧、祐存に養育された。

少年の頃より志気は甚だ剛強で、文武両道に励み成長するに及んで遷俗し、右京進正長と名乗る。

二十二歳の頃より楠一族の霊を弔うため父祖の戦跡を巡り、のち伯父正行(まさつら)の戦場四條畷の山麓に居住した。

以後、俗塵を避けて各地を転々とし、応永十九年(1412)桑原寺の近くにあった天神社(てんじんじゃ)に隠棲し、その祭祀を掌る。

名も四条居士と号す、もと四條畷に住んでいた故であり此の地の名の起こりと云われている。

その後、正長(まさなが)は、本願寺の六世、巧如上人に帰依し名も定願(じょうがん)と改め僧となり、僅かに一宇を建てて勤行し一族の霊を慰めると共に多くの村民を教化したが、応仁二年(1468)九十七歳を以て寂す、これが当地の定願寺(じょうがんじ)の始まりである。

現在の大阪市生野区巽南一丁目にある定願寺は、僧 定願によって創建されたものです。

楠正長旧跡記念碑のある一帯が天神社で「遠宮さん」と呼ばれていました。

当時は、広大な森や池、小高い山もあったようで、ここに正長が住居を構えていたところといわれています。

今は、クスノキの大木と正長の記念碑が残るのみとなり、当時の面影をそこに見出すことはできません。

平成十二年四月

大阪市建設局

資料提供 横野万葉会』

つらつらといろいろな事を書いていますが、何がメインで表現したかったのか解りません。


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