(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年03月28日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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交野市星田 新宮山八幡宮趾


交野市星田に鎮座する新宮山八幡宮(しんぐうやまはちまんぐう)趾です。趾ということは鎮座していたという方が適切なのでしょうか。

星田公園(ほしだこうえん)の中の山頂部にあるのですが、結局、この神社を探すのにこの星田公園(ほしだこうえん)を一周しました。

入り口の階段脇の石標に気がつけば最初にここへ来たのですからクルッと回ることもなかったと思いますし、なんか変な山道には入り込んで苦労して自転車をここまで押してくることも無かったと思うと辛いですね。

新宮山八幡宮(しんぐうやまはちまんぐう)の由緒記

この新宮山は推古天皇の皇后様の<料地でしたが平安時代に都を京に移されると同時に村上天皇の時に藤原家の土地となり藤原家より寄附され平安時代に交野山の西から星田にかけて山岳地千四百町歩とそれに所属する、森、私市、星田の免田二十三町歩が八幡宮寺領荘園としてこの地域の山野の管理する守護神として八幡宮(はちまんぐう)の分霊を勧請して神社としたのが八幡宮(はちまんぐう)である。

新宮山は、南に高く北側は低い。南の高い西北に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建っている塔身の南側に八幡宮(はちまんぐう)、側面に天文十七年(1548)と銘がある。

山の高い所に八幡宮(はちまんぐう)、低い所に愛染律寺(あいぜんりつじ)が建っていた。天文十七年(1548)と銘がある宝篋印塔(ほうきょういんとう)や西側の手前にある延慶二年(1309)と銘のある石塔の残欠から宮寺愛染律寺(あいぜんりつじ)の古さが解る。

このいずれも東面して建っており日本でただ一つの東向塔である。

元和元年(1615)大阪夏の陣に徳川家康が松に旗をかかげ進軍の命令を出し指揮した場所で、その松が「旗がけの松」として有名である。

尚、宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、密教系の塔で鎌倉前期から石造の遺品が出現し、やがて宗派を越えて我国石塔の主流のひとつとして五輪塔(ごりんとう)と並んで流行した。

これは塔中に宝篋印心咒経(ほうきょういんしんじゅきょう)を納めることから出た名である。

私はこの塔の前に立つとこの山は聖地だと何時も思う。

昭和五十二年四月一日

交野市文化財補語委員

奥野 平次』

この由緒記は個人が建てたものなのでしょうか。

地形図がなくなって記憶を便りにここを探し当てたのですが、見つかって良かったと思いますが。とりあえず山麓にそって南へ向かい四條畷にまでたどり着くことができれば戻ることはできます。


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