(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年03月15日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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藤井寺市道明寺 道明寺


藤井寺市道明寺に鎮座する道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)の門から石段を降りて、駅と反対方向(西)へ200mほど歩くと道明寺の門前の坂の下にたどり着きます。

立派な楼門が坂の上にあるので登っていくと、途中には梅の木が植えられており、ちょうど季節がよく梅が咲き誇って良い香りに包まれています。

門の右側に板に墨書きで「道明寺略縁起」が掲示されています。

『道明寺略縁起

当寺は菅原道真公が信心こめて手ずから刻まれた国宝十一面観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)像を御本尊とする古義真言宗の尼寺です。

仏法に帰依される処深かった聖徳太子が、この地に尼僧の寺院を建立されるに当たり、代々仏教文化導入に積極的であった土師という人が邸宅を寄進し、東西三百二十米、南北六百四十米の広大な境内に五重の塔、金堂等をはじめとする七堂伽藍の完成を見ました。

これが当寺の前身の土師寺で、その後菅原道真公に依って道明寺と呼び改められる処となり、数多くの仏像、経典美術工芸品、薬品等を宝蔵しておりました。土師氏の後裔菅原道真公が太宰府に下向されたるとき、叔母の覚寿尼を訪れて当寺に立ち寄られ一首を残されています。

啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の

嶋からむ里の暁もかな

戦国時代に入り、高屋の兵乱に当寺も消失しましたが、之を惜しむ織田信長、豊臣秀吉、徳川代々の将軍家等の庇護によって復興なり朱印地に認められました。

明治五年神仏分離令に従って堂宇一切を天満宮より移し境内の拡張を経て大正八年には本堂の落成をみ、多宝塔を加えて現在に至っております。

建立以来千三百年法燈絶ゆることなく少ない尼寺として、今日に至っていることは偏に皆様の御信心の賜と存じます。

道明寺』

『道明寺

道明寺は、古墳造営に携わった土師氏の氏寺(土師寺)として七世紀代に建立されたと考えられます。土師氏の子孫の菅原道真公ゆかりの寺で、道真公の別名道明から道明寺と呼ばれるようになりました。

当時はもとは道明寺天満宮の南側にありましたが、明治時代の神仏分離により天満宮と分離され、現在地に移転しました。

江戸時代の境内図から、四天王寺(してんのうじ)式伽藍配置であったことが知られています。

本尊の十一面観音菩薩(かんのんぼさつ)立像は、檜の一本造りで、細部にいたるまで緻密な彫技が施された、代表的な檀像彫刻として国宝に指定されています。

河内ふるさとのみち』

中を拝見して、西側の門から外へ出ようとしたのですが、切り株の上に何かが載っています。

よく見ると「亀」なのですが、なんとこの「亀」切り株から削り出されています。

凝ったことがしてあるなと感心しました。