(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年03月01日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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柏原市太平寺 石神社


柏原市太平寺に鎮座する石神社(いわじんじゃ)です。

「石」を「いわ」と呼ぶのは、東大阪市岩田町に鎮座する石田神社(いわたじんじゃ)が同様の読み方をします。

何回も紹介していると思いますが、氏名と地名の読みって難しいと思います。氏名の場合は失礼だと思う人が結構多いようなので注意が必要な場合もあります。

神社内に様々な説明書きがあるのですが、神社の事ではありません。大きな丸い穴の開いた巨石が鳥居横にあります。

『大阪府指定文化財 智識寺(ちしきじ)東塔刹柱礎石

智識寺(ちしきじ)は、奈良・平安時代を代表する大寺院で東大寺(とうだいじ)大仏造顕の機縁となった大仏を本尊とし。聖武・孝謙帝、藤原頼道などの参詣、法華寺への銅の運上といった動きが知られています。

伽藍は東・西二塔をもつ薬師寺(やくしじ)式の配置で、この刹柱礎石は、東塔跡と推定される大平寺二丁目十八-七・山本義一氏宅地東角の土蔵付近から出土したものです。花崗岩製で、この塔心礎の柱穴の直径は122cmあり、この上に建てられていた塔は高さ48.8mの五重塔であったと推定されます。

智識寺(ちしきじ)の大仏は高さ18mと伝えられ、この礎石から推定される塔も、そうした巨大な仏像を本尊とする大寺院にふさわしい大きさです。

千九百八十九年三月

大阪府教育委員会
柏原市教育委員会』

他にも智識寺(ちしきじ)に関する説明書きがあります。

智識寺(ちしきじ)

この付近一帯には、「智識寺(ちしきじ)」と呼ばれる有名な古代寺院跡があり、地名から大平寺廃寺とも呼ばれています。

奈良時代、聖武天皇や孝謙天皇は、平城宮と難波宮の往来の途中に柏原の地を訪れ、智識寺(ちしきじ)山下寺(やましたじ)大里寺(おおさとじ)三宅寺(みやけじ)家原寺(いえはらじ)鳥坂寺(とりさかじ)の六寺に礼拝、礼仏されました。中でも智識寺(ちしきじ)には大きな盧舎那仏(るしゃなぶつ)があり、それを見た聖武天皇は、その立派さに感動し、奈良東大寺(とうだいじ)>の大仏を造るきっかけとなりました。

智識とは、仏教を信仰し、寺や仏像を造ることに協力した人のことであり、智識寺(ちしきじ)は、智識によって建てられた大規模な寺院でした。

智識寺(ちしきじ)は東西に二塔を配する薬師寺(やくしじ)式の伽藍配置であったと推定され、東塔跡の一部が過去に調査されています。出土した瓦から千三百年以上前の飛鳥時代末頃に創建され、室町時代頃に廃絶したようです。

石神社(いわじんじゃ)の境内には、東塔に使用されていた塔心礎を始とする礎石が移されています。

平成七年三月

柏原市教育委員会』

この神社は、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)ですので、古いことはふるいのでしょうが、それよりも柏原市のこの辺りというのは大阪府下の河内平野の中でもかなりの歴史がある場所であると思います。

奈良県から大和川が流れ出て、河内長野市・富田林市の方面から流れてくる石川の合流した地域でもあり、大和川付け替え前は、この辺りから幾筋もの川が北上した地域でもあり、上町台地にある難波の宮や四天王寺(してんのうじ)への道筋であったことも間違いではないでしょう。

菅原道真公が太宰府へ流される前に、道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)まで堤防の道筋をたどったとの逸話もありますので史実の集積場所でもあるはずです。

境内には大阪府指定天然記念物である「石神社(いわじんじゃ)のくす」という石標があり、巨大な楠があります。


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