(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年03月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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藤井寺市国府 史跡 允恭天皇陵


允恭天皇(いんぎょうてんのう)仁徳天皇(にんとくてんのう)64年(376) - 允恭天皇(いんぎょうてんのう)42年1月14日(453年2月8日))は、第19代天皇でこの御陵が允恭天皇(いんぎょうてんのう)の陵であるという根拠は、古事記にも書かれていることが一つの根拠となっているようです。

古事記では『御陵は河内の恵我の長枝にあり。』と記されています。

御陵の鳥居のある場所は「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」の場合、前方部の中央にあるようです。この近辺には数多くの古墳があり、規模だけで特定したのかが気になる所です。

近隣で最大の「応神天皇(おうじんてんのう)」は羽曳野市に位置するためでしょう、藤井寺市の資料には出てきません。

しかし、この「允恭天皇(いんぎょうてんのう)陵」よりも南西にある「中津姫皇后陵」と命名されている前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の方が若干大規模なような気がします。

まあ、古墳と言っても森を見ているような部分もあり、発掘でもして副葬品等が展示でもされていれば何か見ると頃もあるのでしょうが、この御陵も森を見ているだけの感が否めません。

更に困ったことにこの御陵は、前方後の北東の橋から周豪に沿って参道がありそこの砂利道を踏みしめながら相当な距離を歩いて、正面に達したのですが、鳥居のはるか手前から扉が賭してありますし、看板の文字も読めそうにありませんでした。

砂利を綺麗に掃き清められていて、中に無理やり入って写真をとる勇気はありません。そして、戻るしかないのです。

諸説があるようですが、この御陵の主とされる允恭天皇(いんぎょうてんのう)は実在したという説が間違いなく有力なようです。

それにしても、生駒山麓の枚方市や寝屋川市や交野市から四條畷市、大東市、東大阪市、八尾市、柏原市と北は淀川から南は大和川の内側の地域と大和川が付け替えられて南側になった藤井寺市の古墳は少し様相が異なります。

古事記や日本書紀の記述を元に天皇陵かそうでないかを区別しているようですが、宮内庁ももう少し柔軟になって歴史を調べる学者に調べてもらうとかいう方法はないのでしょうか。

これだけ目立っているのですから、盗掘にあっていないわけはないと思うのですが、それを調べるだけでも貴重なことではないでしょうか。


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