(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年03月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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藤井寺市林 伴林氏神社


藤井寺市林に鎮座する伴林氏神社(ともはやしのうじのじんじゃ)です。

立派さに驚いてしまいました。拝殿も大きいし、手水鉢も大きく、正面鳥居も巨大です。

境内が広いので子供たちが遊んでいましたし、親子でボール遊びや自転車の連取をしている親子もいました。子供が自転車で走り回って叱られていました。

式内社(しきないしゃ) 伴林氏神社(ともはやしのうじのじんじゃ)

由緒

高御産巣日神(たかみむずひのかみ)は、神秘な創造発展力を持つ神で、五代後の大伴連の遠祖の天押日神(あまのおしひのみこと)は、天孫降臨は際して邇々芸命(ににきのみこと)の御前に仕え、先導守護された神であり、三代後の道臣神(みちのおみのみこと)も、神武天皇がこの辺りで天神地祇をお祀りし、御東征されるに当って、大軍を指揮して時には斎王となって、難路を切り開き、橿原の地で、御即位なされるまで、大功あった神である。

その子孫が、永くこの地に住み、大和朝廷の名門としてのご先祖をお祀りしたのが、この神社の始まりである。

定観九年(867)には、官社に列せられ、延喜七年(907)には延喜式神名蝶にも記録された。

戦国時代に信長の兵火に遇い消失。神社の維持管理をしてきた伴氏も絶えた。その後、地元民らが、産土神として小さな社殿を再建して明治の初め村社となったが、昭和七年道臣神(みちのおみのみこと)を祀る全国唯一の神社として注目を浴び、昭和十五年には、西の靖国神社(やすくにじんじゃ)として称えられ、取水舎の移築が行われて整備充実し、府社に昇格された。

第二次大戦後は、伊勢神宮を本州とする神社本庁包括の宗教法人となったが、再び衰微荒廃に陥ったものの、氏子の懸命の奉仕と努力によって、境内の整備とともに充実した維持管理が行われている。

大伴氏略系

高御産巣日神→天押日神→道臣神→武持→金村→長徳・吹負→旅人→家持→善男』

いやはや、なんとも大伴氏という家系の権力の大きさを感じられる神社です。

手水舎なんですね。屋根をつけただけのような建物ではありません。

それにしても、広大な土地をよく管理したものです。

河内平野の神社から数多くの神社をまわりましたが、靖国神社(やすくにじんじゃ)と変わらないくらい立派な鳥居ですし、建物も氏子で建てたとは思えない大きなものです。

神社に興味のある人には、訪問すべき神社であると思います。

梅が玉垣のところに植わっていて、丁度、季節でもあったので綺麗に咲いていました。


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