(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年02月25日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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四條畷市岡山 忍陵神社


四條畷市岡山に鎮座する「忍陵神社(にんりょうじんじゃ)」です。別称は、「しのぶがおか神社」と呼ばれているようです。

頂上部の拝殿、本殿に隣接して建物があり、その中を覗いてみると「忍岡古墳(しのぶがおかこふん)」の石室があり、説明書きがあります。結構、大きな石室です。

式内社(しきないしゃ) 忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)

当神社は、今から千二百余年前より当地域(岡山・岡山東・砂地区)の守護神 熊野皇大神(諸願成就・災難消除)、藤原鎌足公・大将軍神(日本最古の方除の神)・馬守大神(交通安全・家業繁栄)をおまつりしています。

古くは津桙社(つぼこしゃ)大将軍社(だいしょうぐんしゃ)馬守社(まもりしゃ)と別々におまつりしていましたが、明治・大正時代に三社が合祀され、現在の社名に改称されました。

又、醍醐天皇の延長五年に定められた延喜式神明帳に記載された全国三千百三十二社ある延喜式内社(えんぎしきないしゃ)(津桙神社(つぼこじんじゃ))の一社でもある立派な鎮守様です。

この歴史ある伝統文化にささえられてきた鎮守の森には、古墳時代前期(四世紀)の前方後円墳の石積石室が現存され、府下でも貴重な文化財であり、戦国時代には当地が軍事上、大へん重要な地に選ばれ、歴史上何度となく登場する処でありますが、特に大阪夏の陣では徳川方の本陣が設営され、徳川幕府成立に大きな役割を成した場所でもあり縁起の良い処として、御勝山と称された由緒ある鎮守の森でもあります。』

忍岡古墳(しのぶがおかこふん) (大阪府指定史跡)

この古墳は、古墳時代前期(四世紀中ごろ)に築造された全長87mの前方後円墳です。

標高36m、河内平野を一望できるこの場所に豪族が豪華な副葬品とともに葬られていたのです。

古墳の発見は昭和九年(1934)の室戸台風によって忍陵神社(しのぶがおかじんじゃじんじゃ)が倒壊し、その再建工事中に石室が発見されたことにはじまります。

翌年、京都大学によって発掘調査されました。石室は、長さ6m・幅1mで、板状の石を丁寧に積み上げた立派な竪穴式石室でした。近年の研究で兵庫県猪名川産の石が使われていることが解りました。

副葬品は、紡錘車・鍬形石・石釧や小札・剣・鉾・刀子・矢じり・鎌などが見つかりました。(京都大学総合博物館蔵)。同年、地域の方々の熱意で覆屋が建てられ保存されました。

長い間石室を保護した覆屋ですが、平成七年(1995)の震災によって傾いたのを機に覆屋再建が計画されました。地域の方々の寄付を基盤に平成十四年(2002)十二月、覆屋が完成しました。このような貴重な竪穴式石室が保存され見学できるのは郷土の誇りです。

大阪府教育委員会・四條畷市教育委員会・畷古文化研究保存会』

この石室は、なかなか状態もよく保存されているようです。書かれているサイズよりも大きく感じました。

河内平野でも東大阪市や八尾市や柏原市から藤井寺市や羽曳野市に至る古墳は大きな石を置いたものが多く、このような平らな石を積み重ねたものははじめて見ました。

いいですよね、地域がこのような保存に関わっておられるのは、頭が下がる思いです。


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