(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年02月23日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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四條畷市南野 住吉平田神社


四條畷市南野に鎮座する住吉平田神社(すみよしひらたじんじゃ)です。

この神社は四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)のすぐ北側に鎮座しています。四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)の北側の階段を降りて直ぐの道を北へ進むと100m程もない距離にこの神社の鳥居が見えてきます。

但し、そこから拝殿、本殿まではかなり急坂の石積の階段を上がる必要があります。


住吉平田神社(すみよしひらたじんじゃ)略記

神社由緒記によると、寛平延喜(889-901)より、飯盛の麓に鎮座し給うとあるも、その住○を知らすとある。

従って創建は詳らかでないが、700-1000年前の創建と推定せられる。南野村改邑鑑によると(文化12年(1815))

住吉大明神の神主、京都吉田家より元和文甲中(1730)受領されるとあり、そのころ住吉神社(すみよしじんじゃ)平田神社(ひらたじんじゃ)と合祀して改名せられたものと推定される。(住吉平田神社(すみよしひらたじんじゃ)となる)

伝承では、住吉神社(すみよしじんじゃ)は飯盛山麓…「現在地より○こ西の方に、平田神社(ひらたじんじゃ)は楠公町の北側…現呼称南野平田に所在していたという。」』

記念碑の石碑があるのですが、写真では文字が判明しません。

四條畷神社に裁縫する予定があるのでその時に確認して修正します。

昭和六十三年十一月二十四日、不測の炬火により御神殿炎上、無残なる焼跡に声もなく、御神霊に対し奉りては、恐●惜く処を知らす重大なる責任を痛感すると共に一日も速やかなる御復興を念じ、直ちに、総代地区役員議を重ね奔走するも意の如くならず前途暗槓として、一同嘆息の日を送りぬ。

斯りては、最早萬来策●くるかと覚えし時、南野用水組合よりこ献納の朗報に接したるは、旱天に慈雨と申すべく前途に大いなる光明を見いだせり、●後の御奉賛相次ぎ 平成元年九月十八日、地鎮祭執行、平成二年五月二十日、御遷座の依滞りなく催行。

参道改修も成り、竣工の式典を相納めたるは、氏子崇敬者の慶び茲に極まれりと言うべし

論央の美、整いし住吉平田神社の御善威嚇々として、氏子崇敬者の上を遍く照らし給い厚き御加護を賜らん事を祈りつつ御復興を記念し喜びをながく後世に伝えんと茲に説す。

住吉平田神社(すみよしひらたじんじゃ)


階段下の看板に書いてあった由緒略記では、二つの神社が一つになってそれぞれの名称を重ね合わせて一つの神社名にしたと記されています。

合祀の際に消えて言った神社が多いようですが、神仏習合であったのが、神仏分離したり、神社を合祀したり為政者のすることには、やはり庶民の抵抗があったと見るのが合祀された神社のそれぞれの復活でしょう。

それにしても、様々な歴史の片隅に隠れた民衆の小さな抵抗なのでしょうか。

私は歴史を感じるのですがどうなのでしょうか。

2010年04月14日に「四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)(楠公さくら祭)」に訪問した時に、「住吉平田神社(すみよしひらたじんじゃ) 稲荷神社(いなりじんじゃ)」を発見しました。

不思議なことです。


関連情報レポートリンク

【四條畷市 神社一覧】