(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年02月22日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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四條畷市南野 四條畷神社 Vol.2


以前に四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)Vol.1で紹介していますが、続編です。

この神社の境内は、しっかりとした石垣の石組の上に本殿や拝殿や絵馬殿が建てられており、山麓でもあり、結構急な石造りの階段を上がったところにあります。

小楠公(しょうなんこう)さん」と呼ばれて崇敬されていますが、河内独特の発想なのでしょうか。

小楠公(しょうなんこう)さん」にちなんだ親子で向かい合った石像が境内にあります。話の筋は四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)Vol.1で紹介していますが、新しく奉納されたもののようです。足元が綺麗に掃き清められていますので近づいて説明書きの写真を撮るのに気をつかいました。

桜井の別れ

楠木正成公(向かって右)死を覚悟の兵庫(湊川)出陣に当り、桜井駅(三島郡島本町)において十一歳の我が子正行公(向かって左)との別れに「父の死後は足利氏の天下になるだろうが、どこまでも正統の天皇を御守りせよ。それが父への孝行となるのだ」と、諭し天皇から賜った短刀を与え身も心も我が子に伝えて出陣された。

忠孝両全

忠:忠義、孝:孝行、両全:両方共に完全であること』

楠天神社(くすてんじんじゃ)

御祭神 菅原道真公(すがわらみちざねこう)

日本文化を大切にされた至誠の人。学問の神

幕末の志士、真木和泉守等は殊に菅公・楠公を崇め鑑として励み努め明治維新達成の原動力となった。』

『有源招魂社由緒

飯盛山の東峰に霊妙な有源山があります。

かってその所に成人教学研修所がり、内外古今の先哲先人の御霊が合祀されて研修諸生の崇敬の的でありました。

過般当四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)境内に新しく神殿を奉建平成十九年四月七日有源招魂社と称して御鎮座になりました。

本社には南朝の忠臣楠正行公と母堂久子自命が奉祀され更には菅原道真公を奉祀する楠天神社が在ります。

この度、有源山の諸文神があわせ奉祀されるに及び文武の両道と知仁勇の三徳が弥増しに尊敬されますよう謹んで祈念いたす次第であります。

平成二十年九月十五日

四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)

四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)由緒記

楠正行公は楠正成公の嫡男であり、正成公の大楠公に対して小楠公(しょうなんこう)と申し上げる卿は延元元年(1336)湊川へ出陣をせられる父君と桜井の駅にて訣別されたが時に御年十一歳由来母君に孝養を尽くして○薪○胆読書練武に励み報恩の至情を捧げた正平二年(1347)十二月後村上天皇に拝謁国難に殉せん事を誓い如意輪堂に剣をもって決死の和歌を遺された。

翌年正月敵将高師直の軍勢八万を発し河内に至るや正行御一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが満身に創を受け遂に殉節された時に御年二十二歳の青年であった。

この正義に燃えたる小楠公(しょうなんこう)お事跡と吉野朝史の一○は四條畷に永く留められ万古に変わらぬ飯盛山は青少年の徳義昂揚を叫び老松は史跡を物語っている。』

すごい説明をしっかりと書いてあるので解りやすいので有難いです。

他に「御おや神社(みおやじんじゃ)」が『正行公御母堂を祀る。正行公なき後、正行公を始め御兄弟を国家の忠臣として育て上げられた。賢母の誉れ高く、女性の鑑、子育ての大神として祀られる。』

文句は在りませんが、日本では直ぐに神様として祀り上げてしまうようですね。良いことか悪いことかは解りませんが、崇敬することは悪いことではないと思います。