(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年02月21日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大東市北条 北條神社


大東市北条に鎮座する北條神社(ほうじょうじんじゃ)です。

冬なのに汗をフキフキ急坂を上がって来ました。鳥居が見えたので「ここか」と思い境内地と思われる場所を探し回ったのですが、鳥居以外は見当たりません。その鳥居も石垣の上でくぐるのも「しんど」そうです。

おじさんが作業をしていたので聞いてみると、「まだまだ上まであがらんといかん。」ということと、「大昔はこの鳥居から神社まで参道になっていたらしいがはっきりとは解らん」ということです。

神社の説明書きがありました。比較的新しいもので読みやすくて有難いものです。

北條神社(ほうじょうじんじゃ)

祭神 誉田別命(品陀別命)・菅原道真公

例祭 十月二十日・二十一日

祭神は京都北野神社(きたのじんじゃ)の御神木で像を刻んだものであると、当社の古記録にある。

即ち時の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に祀るべし」とあったので数多くの神像を刻み加茂川に流された。

その一体が当村の西の津之辺の浜辺に流れ着いた。

その所は森であったので以来その所を明神の森と呼び聖地であるとして、代々お祭りを欠かさなかった。

しかし、この社は平地であるため度々洪水の災いにあった。そこで時代は不明であるが現在地に御遷座された。

明治に合祀された八幡宮は鎌倉時代に、京都男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう)を当村北條の八幡山に勧請した。

戦国期の飯盛城時代この八幡宮は武芸上達の神として武運長久を祈願した。

その後江戸時代に四條村が二つに分れ八幡宮は久具領の産土神となった。

明治五年八幡宮、天満宮の二柱が合祀され、北條神社となった。

末社に「善女大龍王」の水神が境内に祀られる。』

途中に大東市の施設があり、その上に神社があります。

平地からここへ持って来たようですが、来るのは大変です。

大東市の神社は一応生駒山中を除いて完了です。生駒山中の神社は何かの折に立ち寄ることにします。


関連情報レポートリンク

【大東市 神社一覧】