(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年02月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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四條畷市南野 四條畷神社 Vol.1


四條畷市南野に鎮座する四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)です。別称は、「小楠公(しょうなんこう)さん」として有名な神社です。

この神社内容が豊富なので、複数回で紹介します。今のところ2回で紹介するつもりです。

始めて四條畷市に入って来ました。この前に大東市北条に鎮座する北條神社(ほうじょうじんじゃ)から来たのですがこちらを先に紹介します。

『御祭神

楠木正行(くすのき まさつら)公(小楠公(しょうなんこう))はじめ25柱。

小楠公は大阪府千早赤阪村に生まれた。南北朝時代、不利を覚悟で正統の天皇を守り、明治維新の思想的原動力ともなった。楠木正成(くすのき まさしげ)公(大楠公(だいなんこう)、神戸湊川神社に祭る)の嫡男でもある。

御鎮座

明治二十三年四月五日鎮座

旧別格官幣社。(国家忠臣を祭る特別の神社)

小楠公(しょうなんこう)御墓所

参道を下り約1km突き当たり

その名も高き四條畷の決戦は正平三年一月五日(1348)当地において展開された。敵将高師直は六万の精兵を率い万全の構えで待ち構えた。

正行(まさつら)公は死を決し、吉野の如意鈴堂に行き、一族百四十三名の名を留め、劍を以って板壁に「帰らじと かねて思えば 梓弓無き数に入る名をぞ留むる」と辞世の句を記して出陣された。

多勢に無勢、正行(まさつら)公は大東市字ハラキリで討死にされたが、御遺体は現在地に移され小碑を建て両脇に楠の若木を植えて墓とした。

(成長して一株の如く合した楠は「大阪府指定天然記念物」樹齢 約五百五十年)

小楠公(しょうなんこう)の首塚は、京都嵐山宝筐院にあり(釈迦堂左隣)足利義詮(あしかが よしあきら)は、正行(まさつら)公を尊敬し、遺言により、墓は小楠公(しょうなんこう)首塚の横に創られた。

桜井の別れ

大楠公(だいなんこう)は死を覚悟の兵庫出陣に当り、桜井駅(大阪府島本町、当地の北15km)において、11歳の正行(まさつら)公に、「父の教えを守って正統の天皇に仕える様」訓された。

(子別れの碑は、この話に感激した英国公使パークスが最初に建てた。)

赤十字精神

成人した小楠公(しょうなんこう)は、度々敵を破る。瓜生野の戦いで、敗走する多数の敵兵が渡辺橋(現天満橋付近)から落ちて酷寒の中、溺れるのを助け上げ、傷の手当てをし、衣食を与えて京都に返してやった。

(ナイチンゲールに先立つ事五百年)』

いろいろ書いてあります。

なんとも勇壮華麗な神社です。

なんとも言えませんが桜の咲くころに妻と再訪します。

最近の情報では、楠木正成(くすのき まさしげ)一族は、「強盗団」であったような話もありますが、解釈によるもので、大阪では崇敬されているのは間違いないでしょう。私は詳細は知りませんでしたが、小さいころから名前だけは知っていました。


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