(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年02月14日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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寝屋川市太間町 太間天満宮


大阪府寝屋川市太間町に鎮座する太間天満宮(たいまてんまんぐう)です。

本当に地名や人名の読みは難しいものです。「たいま」と読むとは思っていませんでした。

なんとなく周囲が殺風景と言うか、空き地や畑が広がっていて少し雰囲気が違うなと思ったら直ぐに淀川の堤でした。

神社の由緒書きは見当たりませんでしたが、石標が建っていて以下のように彫られています。


杉子(ころものこ)絶間(たもま)

日本書紀、仁徳天皇の十一年(五世紀初)の条に、茨田堤(まむたのつつみ)の築造のことが出ています。

それには二カ所の難所があって、何度工事をやり直してもつながらないので、人柱を立てて堤を完成させようとしました。

下の一ヵ所は、武蔵国の、強頚(こわとも)が犠牲になりました。

上の所は茨田連(まむたのむらじ)杉子(ころものこ)が指名されましたが、杉子(ころものこ)は○智をもっていけにえになることを免れました。

その現場は、ここから四百米東の方ということです。』


当初は杉子(ころものこ)を祭神として祭っていたようですが、友呂岐神社(ともろぎじんじゃ)から菅原道真公を主祭神としたために天満宮を名乗るようなったらしいのですがいろいろと争いがあったような情報がインターネット上で見つかります。

やはりそれぞれの村の住民の気持ちが歴史の中に現れてくるようです。

太間天満宮(たいまてんまんぐう)から北へ向かったのですが突然急坂になり驚いてしまいました。

不思議だったのですが、そのまま登りきると淀川堤防に出ました。なるほど淀川の直ぐ側に鎮座していたのですね。

登りきった所に、今では珍しい松の大木が一本はえていてその上部の堤防上に「茨田堤(まむたのつつみ)の石碑」がありました。

大和川の付け替えも、河内平野の誕生には大きな影響があったと思いますが、この「史跡 茨田堤(まむたのつつみ)」は淀川の水流をコントロールしたということで、大和川の付け替えとともに河内平野の誕生には大きな意味を持つものであったのでしょう。

なるほどの歴史です。


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