(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2009年01月13日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪府八尾市 物部守屋関連史跡


このお墓は、国道25号線の太子堂交差点から西へすぐの北側にあります。私は何度も通っていたのですが気がついていませんでした。

あまりにも交差点に近いのと、この交差点に西側からくることはほとんどありませんでしたし、交差点を北上する方が多かったのでこの前を通ったことは以外にも少ないのです。

それにしても、玉垣をみて驚いてしまいました。

神社本庁をはじめとする、各都道府県の神社庁の名前が彫られています。由緒深いととらえられているのでしょうか。そもそも、聖徳太子らの仏教導入に反対したということは、神社の擁護派ととらえられているのでしょうか。

歴史の一コマを垣間見るような気持ちになります。

稲城(いなき)跡という石碑が、光蓮寺(こうれんじ)は若江山と号し、浄土真宗本願寺派の末寺の門前に建っています。

別にこれという変わったお寺ではありませんが、この石碑を見学にくる人がかなり態度が悪い様です。中の銅像にきちんと参拝してくださいと書いてあります。いくら信心していなくても、それなりの敬意を示さないといけないのは当然のことです。

ちなみに、このお寺の前の道はそんなに広くありませんので、車ではいけませんよ。

西には大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)があり、このあたりの地名の太子堂(たいしどう)の由来になっているようです。

聖徳太子建立三太子の一つで、

叡福寺(えいふくじ)の「上の太子」

野中寺(やちゅうじ)の「中の太子」に対して、大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)は「下の太子」と呼ばれているそうです。

結構見どころはありますし、河内平野の物部氏の歴史の中心地になるのかもしれませんね。

交差点を少し南へ行くと八尾市北木の本に鎮座する樟本神社(くすもとじんじゃ)に「守屋首洗池(もりやくびあらいいけ)」があります。

西の横断歩道橋の派出所を南へ渡ると「鏑矢塚(かぶらやつか)」は、「守屋を射ぬいた鏑矢(かぶらや)が落ちたところ。その矢を記念として埋めた所と伝えられているが、その場所が分らない。」があり、そこから南方へ100mほど中学校へ向かっていくと「弓塚(ゆみつか)」は「守屋を射抜いた鏑矢(かぶらや)を放った弓を埋めた場所と伝わる弓代塚(ゆみしろつか)の石碑。」があります。

あまりに何度も往復して探し回っていたので、派出所内の警官にじっとみられていました。怪しかったのでしょうか。

弓塚(ゆみつか)は、容易に発見で着ませんでした。高圧電線の鉄塔下にあります。

他のホームページで説明されているような場所にはありませんので注意が必要です。小さな看板を発見して細い通路を鉄塔下に入り込んだ場所にあります。

これが容易に発見できれば貴方は史跡めぐりの熟練者であると思います。龍華中学校南側のとにかく鉄塔を探してください。

私自身もかなりの勉強不足であったことは否定しませんが、物部守屋という人の影響力はかなり大きく河内平野に数々の歴史を刻んできた事は間違いないようです。ちょっと勉強してみますか。


P.S.

東大阪市の衣摺(きずり)が本拠地であるという記述が数多く見られるのですが、何一つ史跡らしきものもありません。

最近言われ始めた聖徳太子は実在しないのであれば、歴史の重要な部分が複雑になります。四天王寺(してんのうじ)は誰が建てたのか、この地では誰が守屋を討伐したのか。興味津々です。