(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年12月27日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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守口市大庭町 八坂瓊神社


守口市大庭町に鎮座する八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)です。通称は「七番のお宮さん」と呼ばれているようです。

守口市橋波東之町に鎮座する天乃神社(あまのじんじゃ)の由緒書きにあった楠木正行が門真市と守口市の「一番から十番の碑」を築いたという碑が鳥居横のこれでしょうか。

少し違うような気がしますが、はじめてそれらしいものがありました。


八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)

神社の由緒

当神社の創立の年代は、さだかではないが。いにしえの昔より鎮座されていたと記されていいる。

京都祇園の八坂神社(やさかじんじゃ)の御祭神を勧請したと伝えられ、文化十年(1817)九月二十日より京都葉室殿の御祈願所となり、御年例祭には葉室殿より高張提灯御紋付二張、御膳一膳、青銅一貫匁を供進せられた。

社殿は慶長年間大阪の役に兵火のため炎上し、元和九年(1913)九月十六日に藤原朝臣 赤楚藤兵衛が造営した。

現今の社殿は、明治十一年(1878)三月十日その直系、赤楚重五郎、同赤楚与八が造営したものである。

当時の神社敷地は、約四百坪を有し、(現在の大庭集会所敷地を含み)境内末社に「稲荷神社(いなりじんじゃ)」と「開墾神社(かいこんじんじゃ)」が祀ってあったが、いにしえに廃社となった。

現在の稲荷神社(いなりじんじゃ)」は平成八年八月十一日、八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)奉賛会役員が発起人となり、崇敬者方々の御寄進により造営された。

(注)御寄進者のご芳名は、神殿   掲示されている。

八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)の社前の灯篭には、寛文三年(1663)と刻まれ、鳥居には享保八年(1723)癸卯八月二十五日、河州茨田郡七番村氏子中とあります。

明治維新の時に八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)宮寺で廃寺となった、廣隆寺(こうりゅうじ)の「本尊の薬師如来(やくしにょらい)」は、現在大庭町二丁目の「正覚寺(しょうかくじ)」に安置されています。

追伸

昭和六十二年頃に至り八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)の老朽は著しく、その修復改築について、「昭和六十三年頭初に「奉賛会」を設立、同年三月より神殿大改修工事を着工。同年七月吉日神殿の大改修工事を立派に完成し現在に至る。」

平成九年八月吉日

八坂瓊神社(やさかにじんじゃ)奉賛会』


淀川堤防沿いにあるなかなか由緒ありそうな神社です。