(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年12月24日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大阪市都島区毛馬町 毛馬閘門・淀川大堰


淀川と大川が分岐する地点に毛馬閘門(けまこうもん)淀川大堰(よどがわおおぜき)あります。

毛馬閘門(けまこうもん)は知っていましたが、淀川にこんな立派な淀川大堰(よどがわおおぜき)が出来ていることは知りませんでした。

工事の人が門を開けていたので、無理やりお願いして中から1枚写真を撮らせていただきました。申し訳ありませんでした。


毛馬閘門(けまこうもん)

淀川は、度重なる氾濫を繰り返し、洪水のたび周辺地域に大きな被害をもたらしていた為、明治30年 - 43年にかけて淀川改修工事が行われました。新淀川の開削(現在の摂津市一津屋 - 大阪湾河口間)が行われ現在の姿になりました。

毛馬閘門(けまこうもん)は、新淀川と旧淀川(大川)の水量調節や、土砂堆積防止のため明治43年1月に建設されました。昭和49年10月の新水門通路まで65年間使用され、右側3門が当時の姿で保存されています。

また、新しくなる淀川と旧淀川を行き来する船の航路確保を目的に、毛馬第一閘門が明治40年8月に建設されました。

淀川と旧淀川では水位に差があるため、船は閘門内で水位調節の間停泊し、その後それぞれの川へ出ていきました。

毛馬閘門(けまこうもん)は、昭和51年1月まで使用され、その役割は現在の毛馬閘門(けまこうもん)が引き継いでいます。』



淀川大堰(よどがわおおぜき)の機能は?

かつて淀川は、その下流部で大川・中津川。神崎川の三川に分派し、たびたび起こる洪水により大阪の町は大きな被害を受けていました。また、淀川の洪水の度に流入する土砂の堆積により大阪港はその機能を失いつつありました。

このような背景のもと、明治二十九年の河川法の制定を受けて中津川沿いに新川が開削され、現在の新淀川が明治四十三年に竣工しました。この新淀川の河床の深掘を防ぐとともに、淀川の水位を高く保ち、毛馬洗堰(けまあらいぜき)から大川(旧淀川)に放流する流量を増加させるため、大正三年に長柄起伏堰が設置され、昭和九年には長柄橋の掛替えに併せて長柄可動堰が竣工しました。

その後、昭和二十八年の13号台風をはじめ、伊勢湾台風(昭和34年)、36年、40年とたびたに計画高水流量に近い洪水に見舞われ、全国に先駆けて200年に一度の規模の洪水を対象とした治水計画である「淀川水系工事実施基本計画」が昭和46年に改訂されました。この増大した計画流量を円滑に流下させるため、淀川大堰は昭和47年に着工し、昭和58年に完成しました。

このように淀川大堰(よどがわおおぜき)は「水の都」大阪の治水のかなめとしての役割を果たしています。

淀川の主な機能は以下のとおりです。

  • 塩水の遡上を防止する潮止め機能
  • 都市用水等の取水や、大川・神崎川へ維持揚水を流入させるために必要な水位保持機能
  • 渇水時の都市用水を確保するために必要な調整池機能


なるほど、しかし立派なものですね。私が高校へ通っている時に工事をしていたとは知りませんでした。