(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年12月18日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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門真市宮野町 堤根神社


門真市宮野町に鎮座する堤根神社(つつみねじんじゃ)です。この神社で門真市の神社は終了しますが、最後の樹木の写真は古事記に出てくる茨田堤(まむたのつつみ)の楠木です。ということは、この神社の本殿は茨田堤(まむたのつつみ)の上に鎮座しているということです。

門真市稗島に鎮座する堤根神社(つつみねじんじゃ)とはどのような関係があるのかは興味のあるところです。

延喜式内社(えんぎしきないしゃ) 堤根神社

約1600年前、河内湖周辺を水害から守るため、仁徳天皇の命により茨田宿弥が旧淀川(古川)日本最古の堤防、茨田堤(まむたのつつみ)を築く。

この堤を守るため、茨田氏の先祖彦八井耳命(神武天皇の皇子)を守護神として奉祀したのが神社の起源である。

平安時代の延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも記され、鳥居前には河内と大和を結ぶ行基(ぎょうき)道が通じており、北河内随一の古社として厚い信仰を集めている。

また、江戸時代初期、淀藩主、永井信濃守尚政により菅原道真公を合祀させている。』

この辺は淀藩であったということでしょうか、この藩主の永井信濃守尚政という人があちらこちらの神社に出てくる名前です。

時代は異なりますが、仁徳天皇は大阪のあちらこちらで名前が出てきますし、行基(ぎょうき)は大和から河内から堺で活躍しています。また、淀藩主、永井信濃守尚政は守口市と門真市の周辺で名前が出てきます。

古事記 下つ巻「大雀皇帝(おほさざきのすめらみこと)()少豊御食炊屋比賣命(とよけかしきやひめのみこと)にいたる間で、おおよそ十九天皇」の大雀皇帝(おほさざきのすめらみこと)こそ仁徳天皇のことであり、この様にかかれています。

『・・・また秦人を役ちて茨田堤(まむたのつつみ)(まむだのつつみ)また茨田三宅を作り、また丸爾池(わにのいけ)依綱池(よさみのいけ)を作り、また難波の堀江を堀りて海に通はし、また小橋江(をばしえ)を堀り、また墨江(すみのえ)の津を定めたまひき。』となっています。

茨田堤(まむたのつつみ)にたいする

『賛辞

茨田堤(まむたのつつみ)は、仁徳天皇の時に築かれたと伝えられ、以来千数百年土地の人々の生活を守り、人々もこの堤を守って今に至った。1973年史蹟に認定され保存顕彰されることはまことに喜ばしくここに慶祝の意を表すものである。

千九百七十八年五月

大阪市立大学教授

文学博士 直木 孝次郎』

なかなか興味深い歴史のある場所ですね。この辺は古くから土地であったという証なのでしょう。


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